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2 香港の盛衰 香港金融史

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スタンダードチャータード銀行(香港)

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香港証券取引所

●香港の金融史の百年
 1898年、英国と清政府は「展拓香港界址専条」に署名し、九龍半島の境界以北と付近の262島を、1997年6月30日まで租借した。これにより香港の漂泊期が始まった。1950年以前は、香港の経済は再輸出貿易によって支配されていた。
1.海外資本の銀行の設立 
 香港島の租借3年目(1845年)に、英国は香港に最初の銀行(金宝銀行)を開設した。1853年、英国スタンダードチャータード銀行が香港で通貨発行権を取得、1859年に支店を開設した。1865年、英国、米国、ドイツ、その他の国々が香港にHSBCを共同設立した。
2. 証券取引所の設立
1891年、香港の歴史で最初の証券取引所(香港会)が設立された。
 1950年代後半、香港は急速な工業化の軌道に乗った。1960年代を通じ、香港の経済成長率は12.7%。戦争の影響で、大量の資金・設備・専門家が香港に急速に流入し始めた。1949年から1978年の期間に、香港の「不法」移民は約100万人に達した。
3. 中国人の証券取引所の設立
1969年に中国人実業家の李福兆が率いる「極東取引所」(極東会)が正式に開設され、中国の資金提供を受けた多くの企業が公開する機会ができた。これを出発点として、香港の証券市場は、計4つの取引所に夜「四会時代」に入った。同時に、香港政府は10年住宅計画(1972年)と所有権計画(1976年)の実施を開始した。これで香港の地価は上昇し、中国の資本は金融業界と不動産業界を利用して舞台に踏み出し始めた。
 1986年、香港株式市場は「四会時代」を終わらせ、すべてコンピューター支援取引を使用して香港証券取引所証券取引所)に合併した。 同年、証券取引所は国際証券取引所連盟の正会員となり、正式に国際基準に準拠するようになった。
4.改革開放の影響
 1970年代から1980年代にかけて、中国本土の改革開放が始まり、香港はこの機会を捉えた。製造業のほとんどが本土に移り、さまざまなサービス産業が急速に発展した。グローバル化の波、製造業からサービス業へのシフトが実現した。 1997年、香港の経済発展に新たな章を開いた。1970年から1994年にかけて、香港の1人当たりGDPは925米ドルから2万1421米ドルに上昇し、この期間中2桁の成長率を維持した。
資料(「毎日頭条」2016.7.1)