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11 北京の盛衰 京漢鉄道

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京漢鉄道を走る機関車

 中華民国時代の鉄道は、国営と民営、合弁があり、さらに外国による資金、敷設及び経営に依存した。「南満州鉄道」(日本)、「東清鉄道」(ロシア)、「九龍鉄道」(イギリス)、「広西鉄道」(フランス)など。
 中国南北の縦貫線である「京漢鉄道」は、もともと「盧漢鉄道」と呼ばれていた。
ロシアとフランスは東三省と雲南ベトナム鉄道の経営権を取得した後、ベルギー企業と共に「盧漢鉄道」(盧溝橋から漢口)の貸付権を取得した。「盧漢鉄道」の盧溝橋-保定の区間は、1897年清政府からベルギー企業に譲渡された。ベルギー企業による買収後、北の出発点は北京西便門を経由して正陽門(前門)西駅に、南端は漢口玉帯門に変更された。    
 1898年末、工事は南北から同時に開始され、1905年11月に黄河大橋が完成、1906年4月、全長1214キロの全線が完成し、「京漢鉄道」と改名された。1919年の乗客数は400万人を超えたという。
 1923年の統計では、この鉄道の毎月乗車する軍人数は4万7800人。全国の鉄道の年間軍人乗客数は150万人以上という。(資料「時拾史事」2021.1.22)