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22『日本の謎』信長の神像

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モンタヌス「日本誌」(1669) 挿絵より着色

謎22 生き神となった信長

 江戸時代に日本を紹介した文書は、イエズス会の通信記録と、オランダの東インド会社の使者の記録がある。東インド会社に属するモンタヌスの「日本誌」は、1669年に発行され、この書の発行の翌年には英、独、フランスの翻訳が出た。以下は信長(1534-1582) と安土城を紹介した箇所。

●信長を神として崇拝

 「信長はその統治を行う間に一の快美なる新市を山の上に作り、これを安土山と名付けた。その中に荘麗なる殿堂(城)を建て、日本中の最も尊敬された諸仏像をこの地に運ばせた。

この城の隣には豪著なる礼拝堂を建て、大理石の上に自家の紋章を刻み、自己の像を等身大に作らせた。その工事が終わると、「指定した日以降に、安土山の城内にある彼の像以外の神を礼拝すべからず」と命じた。

 2つ目の命令は、「2月末日には、その階級を問わず何人もこの日を神聖に守るべし。これは彼の生誕日なればなり(本当は旧暦の5月 12日)」である。そして、「安土山の礼拝堂に行き、新しい神三体を礼拝すべし」と要求した。この像を崇拝した者は貧しい者は富み、富んだ人は益々増加発展し、かつ長寿を得られる。この指示に従わない者はその反対になると伝えた。

この布告が伝えられると、広大なる城内も日々団体をなして繰り込む群衆にあふれた。城よりより先の市も人で充塞し、その多くは船上に寝起きせざる状態に至った。(資料 モンタヌス「日本誌」1669年)