11「仏教の秘密」釈迦一族の滅亡
秘密11 なぜ釈迦は一族滅亡を傍観していたか?
釈迦一族滅亡の記事は、仏典では「仏説流離(るり)王経」、そして「増阿阿含経26等見品」などにある。日本では北斎が挿絵を描いた「釈迦一代記図絵」にも記載がある。ここでは国訳一切経「増阿阿含経」を参考にした。
●流離王の怒り
時代は仏陀が悟りを得て間もなくの事である。釈迦族に育てられた舎衛(しゃえ)国の流離太子が王位につくと、バラモンの好苦(こうく)は、王にこう言った、「王よ、昔、釈迦族に辱められたことを思い出されよ!」それを聞いた流離王は、「おれは、釈迦族を征伐しに往くぞ!」といい、すぐに準備にかかった。世尊の弟子の目連(もくれん)は、世尊に「流離王は兵を集めて釈迦族を攻めて来ます」と忠告するが、世尊は何もしなかった。
流離王は、釈迦族の首府迦毘羅衛城(かぴらえじょう)の境にまで来た。釈迦族たちは兵を集めて守りを堅めていた。再び流離王に好苦(こうく)は告げた。「大王!釈迦族たちは、皆五戒を守っているので、人殺しはできません。今、攻撃したら釈迦族を滅ぼせるでしょう。」
城内に入った流離王の軍隊は、多くの釈迦族たちの脚を池中に埋めて、象に踏み殺させた。次に流離王は、釈迦族の女で、顔を好いのを500人選びださせ王の前に引き出させた。しかし女たちは抵抗したため、流離王は女たちの手足を切り、溝の中に放り込むよう命じた。こうして流離王は釈迦族9990万人を殺し、迦毘羅衛城にも火を放った。しかしそれから七日目に暴風雨となり、流離王と兵たちは全員洪水に流されて消え去った。そして舎衛(しゃえ)国の宮殿も天からの火によって焼け落ちた。
こうして全てが終わると、釈迦は語った。「釈迦族たちは、漫然と魚を食っていたが、その因縁により、限りなく永く地獄に入り、今またその対価を支払ったのである。わたしも、その時代に漫然と見て笑っていたので、悟りを得た今も頭痛をわずらい、須弥山(しゅみせん)を載せているようである。仏はふたたび地上に生まれず諸の災難をのりこえるが、それでも昔の因縁を今に果報として受けているのである!