シュールの本棚

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17『日本の謎』 富士山噴火

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 北斎の「富嶽百景・ 宝永山出現」より部分、着色

謎17  噴火の前兆はあったのか?

 宝永大噴火(ほうえいだいふんか)とは、江戸時代中期の1707年(宝永4年)11月23日に起きた富士山の噴火である。吉田村の田邊安豊なる者の長歌体の記文に次の記述がある。

「11月23日の爆発に先立って10月4日に吉田に地震があり、爆発前日の22日には夕刻からは地震50数回、当日の明方からは数えることが出来ない程あった。午前10時頃に南方にあたりて、天から丸い鐘状の光が降ると共に、黒煙が山の如く鳴動しつつ響く音や雷鳴がしきりにあった。

午後8時頃、火炎燃え、火の玉天へ上る。

 24日の午前10時頃には霞の如く薄けむりが四方にかかり、須走村は石砂が降って天火て焼失した。午後8時には地震鳴動と共に光が一層増加した。25日には朝日がさしたが昼頃からまた曇る。26日には西風出て黒煙も鳴動も漸くしずまった。27日には煙は高かったが鳴りも光もやわらいたが、晦日の午後8時には震動、噴煙共に激しく火の玉が上る。(中略)12月9日の午前4時より穏やかになった。駿東郡の足柄から富士山まで村里も草木も埋まって見えず、小川の水も絶えた」。(資料=浅間神社社務所篇「富士の地理と地質」1928年)