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13 戦争経済 サウジアラビアの武器商人

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アドナン・カショギ (ニューヨーク1990年)

  サウジアラビアの武器商人アドナン・カショギ(1935 - 2017)は、彼は派手な生き方で知られており、2017年に亡くなった時点で純資産は20億ドルだった。

 1935年にメッカ(サウジアラビア)で、イヴンサウド王の個人医師モハマドの子として誕生。彼はカリフォルニア州立大学スタンフォード大学に通った。在学中、彼は将来のヨルダン国王フセイン・ビン・タラルに会い、2人の学友の父親間の商談をして取引の仕方を学ぶ。

 彼の最初の主要な取引の1つに、大手建設会社は砂漠で使用していたトラックに問題を抱えていた。カショギは、砂漠を横断できる幅の広い車輪を備えたケンワース(アメリカ)のトラックを購入し、それを建設会社に25万ドルでリースし、その過程でケンワースの代理店になった。 

 カショギは1960年代と70年代に引き続き大規模な取引を促進し、サウジアラビア政府の防衛ニーズを満たすために欧米の企業を結集した。

 彼は軍用機メーカーのロッキード社のために戦略を提供し、会社のマーケティングの立役者になった。

 世界中の重要な人物に影響を与えるため、彼らに多額のギフトと女性を世話した。彼の「贈り物」の1つに、米大統領リチャード・ニクソンへの寄付である。さらにカショギは武器商人としてサウジアラビア政府と米国の企業との間の取引を仲介した。

 彼の顧客には、世界の5大軍用機メーカーのロッキードコーポレーション、グラマン航空機エンジニアリング、レイセオンノースロップコーポレーションが含まれていた。彼は1970年から75年の間にロッキードマーティンだけから1億600万ドルの手数料を受け取った。

●イラン・コントラ事件

 80年代半ばから後半のイラン・コントラ事件の間、カショギは人質の武器交換の仲介者として関与していた。彼は、米国とサウジアラビアの両方の支援を受けて、国際商業信用銀行(1991年破綻)からこれらの購入資金を借りていたことが発見された。(資料 英語版wiki