13 芸術家と金 ココ・シャネル
ココ・シャネル(1883- 1971)はフランスのファッションデザイナー、企業家。
ココ・シャネルは、オーバジーヌ(フランスの中央部)で6年間裁縫を学んだ後、仕立て屋での職を見つけた。そして副業としてキャバレーで歌を歌ってもいた。
温泉郷ヴィシーに出る前、ムーランで繊維業者の息子であるバルサンと出会った。バルサンは多大な資産を抱えたプレイボーイであった。シャネルが23歳の頃、彼はシャトーを購入し、そこで競走馬の育成を始めた。この計画を聞いたシャネルはバルサンの愛人となった。
1909年、シャネルはバルサンの友人のボーイ・カペルと関係を持ち始めた。1910年に婦人用帽子職人のライセンスを取得し、パリにブティックを開店した。1913年、シャネルはカペルの資金提供でドーヴィル(ノルマンディ海岸)にブティックを開業し、レジャーやスポーツに適した豪華でカジュアルな服装を打ち出した。
1915年にスペイン国境に近いビアリッツに本格的な店舗を出した。ここは王侯貴族や金持ちグループの遊び場であった。シャネルは、1年間の営業でカペルが提供した資金を返済した。
1918年、シャネルは事業を拡大し、パリのカンボン通りに新店舗を開店した。現代的なブティックを目指す彼女は、1921年から、香水のほか、衣服や帽子に合ったアクセサリーを、次いで宝石や化粧品なども販売するようになった。
1923年にモンテ・カルロで、シャネルは大富豪ウェストミンスター公に面式を得た。彼はシャネルに豪華な宝石、高価な美術品、ロンドンの邸宅を気前よく与えた。彼とシャネルとの関係は10年続いた。
シャネルのクチュールは、1935年までに4,000人を雇用する営利企業となり、大きな利益をあげた。
1947年5月、シャネルは戦時中の「シャネルNo.5」の販売利益(現在の9億ドルに相当する)を受け取った。また、将来の全世界における「シャネルNo.5」の売り上げの2%の権利を得た。彼女は1年あたり2500万ドル(25億円=1ドル100円で換算)の収入を得ていたとされ、当時世界で最も富裕な女性となっていた。1971年1月10日、30年以上居住していたホテル・リッツで死亡した。(資料「ウィキペディア」)