シュールの本棚

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11 戦争経済 日本の戦後賠償交渉 (1954-59)

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岸首相とスカルノ大統領の交渉(1958)

 1945年8月、敗北を認めた日本は、更なる課題が待ち受けていた。戦勝国の損害を償うための賠償が科せられたのである。

 日本外務省のHPによると「日本政府は、先の大戦に係る賠償・財産・請求権については、「サンフランシスコ平和条約」等に従って対応し、これらの条約の当事国との間で、法的に解決済みである」とある。

 もちろんこの海外への経済協力により、日本の企業の海外進出へのノウハウを獲得したことも見逃せない。

◎各国の賠償内容

 賠償交渉の期間は、1954-55年のビルマ賠償協定(2億ドル)締結から始まり、最後の南ベトナム賠償協定(3,900万ドル)が締結される1960年までである。

 賠償交渉は順調には進行しなかった。次々と賠償請求権を放棄する国があるなか、ビルマ、フィリピン、インドネシア南ベトナムの間で、交渉がねばり強くつづけられた。

ビルマミャンマー)は1954年11月に賠償2億ドル、無償経済協力1.4億ドルで協定が成立した。

・フィリピンは1956年に5億5,000万ドル、20年払い。経済協力が2億5,000万ドルであった。

インドネシアには、1958年1月に2億2,308万ドルの賠償を供与、経済協力4億ドルで協定が成立した。

・インドは1952年「日印平和条約」により、賠償請求権を放棄した。

・賠償交渉が遅れたベトナムには、1959年5月に3,900万ドルの賠償協定が成立した。

 その他の条約当事国は、賠償請求権を放棄した。

 なお韓国とは1965年「日韓条約」が締結され、政府無償贈与3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル以上の内容となっている。(資料「日本外交史29 講和後の外交1」鹿島研究所1973)