謎8 なぜ外国人を殺害したのか?
幕末の攘夷論者による外国人襲撃は、安政4年(1857)のハリス襲撃未遂事件から、慶応4年(1868)のパークス襲撃事件の12年間に、24件発生している。
尊王と攘夷を結びつける思想は、1840年代、徳川慶喜の父で水戸藩主の徳川斉昭(なりあき1800-1860)と、彼のブレーンで家臣の藤田東湖(1806-1855)が唱えた水戸学において芽生えた。
尊王攘夷の志士は、公家に幕府との対抗を説いて朝幕間の対立を促し、他方では外人の殺傷による外交上幕府を窮地に追いやる戦術をとった。
このため京都での幕府の支配力が後退し、公家とむすぶ薩摩長州土佐の勢力が伸びたという。