シュールの本棚

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9「日本の謎」空海

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『高僧伝集』国民文庫刊行会(1913)挿絵より

謎9 なぜ空海は中国語が話せたのか?

空海は792年(18歳)で京の大学寮に入り、儒教を学ぶ明経道を専攻した。しかしその後、儒教にあきたらず仏教の研究と実践に傾倒していく。803年、医薬の知識が評価され、18回遣唐使の医薬を学ぶ薬生として出発する。悪天候のため、翌年804年7月に長期留学僧として唐に向かう。

遣唐大使の乗る第1船に空海、第2船に最澄が乗った。この船団の第3船、第4船は遭難している。

空海の乗った船も、天候が災いして8月10日に福州に漂着。海賊の嫌疑をかけられ、約50日間待機させられる。空海が書いた文章で遣唐使と認められ、11月3日に解放されて12月23日に長安に入った。

 遣唐大使の文章がうまくないために海賊と誤解され、そして同じ留学僧の橘逸勢は語学が苦手で、言葉の壁が学習の障害であると嘆いている。それに比して空海の実力の高さが偲ばれる。これも「虚空蔵求聞持法」のお陰か?