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11 大富豪の世界 毛沢東の原稿報酬

毛沢東と三女李敏

「党史文元」が「毛沢東(1893-1976)の数億の報酬の論争」という記事を2007年当時発表し、毛沢東の作品と利子の累積報酬が、合計1億3,121万元(2001年5月末現在)であることを明らかにした。

毛沢東の報酬の使い道 
 1976年12月末、警備責任者の汪東興(1916-2015)が毛沢東私有財産を調べたところ、中国人民銀行の本社にある毛沢東の著作物報酬の累積預金が7,582万元以上であることがわかった。汪東興によれば、周恩来、汪東興、張玉鳳(秘書)だけが毛沢東の報酬がどれだけ蓄積され、どのような名前で保管されているかを知っていた。さらに、毛沢東中国人民銀行中南海支部に個人名で開設した口座には、通常、80万から90万元の口座があった。
 1965年から1976年2月まで、毛沢東江青に38万元と2万米ドルを9回引き出した。1967年から1976年5月まで、毛沢東は5回15万元を張玉鳳に、2万5000元を生活管理員の呉連登に引き出した。汪東興に2回40,000元を与えた(汪の家族が家を建てるための15,000元を含む)。

毛沢東の報酬遺産をめぐる論争
 毛沢東の死後、中国共産党内で彼の報酬の遺産にどう対処するかについて論争があった。汪東興によれば、毛沢東はかつて、死後、党会費が支払われ、彼の周りの人々は警備員に分配されると言った。毛沢東の報酬の継承に関して、中央委員会の意見では、毛沢東は党全体に属し、毛沢東が残した報酬は妻の江青や彼の親戚のためではないと述べた。江青毛沢東の財産を相続する権利があると5回主張し、2人の娘と親戚に5000万元を引き出すことを提案した。しかし、彼女の要求は拒否された。三女李敏(LiMin1936-)、四女李訥 (LiNe1936-)も申請したが、拒否された。その後、中央事務所は2人に200万元近くを割り当て、家を購入し、家で使用できるようにした。(⼤洋網-広州⽇報 2007年12月10日)