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4 ユダヤ人の秘密 フリーメーソン(ドイツ)

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バイロイトフリーメーソン博物館

 ユダヤ人の名前がフリーメイソンの最初の記録に載ったのは、1723年のイギリスのグランドロッジのアーカイブで、そのほとんどはセファルディ・ユダヤ人、つまり中世にイベリア半島(スペイン、ポルトガル)に住んでいたユダヤ人の子孫であった。
 イギリスのアメリカへの植民地拡大につれ、フリーメーソンユダヤ人の入会を認めることになったが、一部のロッジではユダヤ人を差別していた。フリーメーソンの創立理念のため、英国のロッジは一般的にユダヤ人のメンバーを認めた。これは米国でも当てはまり、19世紀にはドイツを除くヨーロッパのいくつかの国でも当てはまった。ただしドイツでは、ユダヤ人に対する偏見や、ドイツのロマン主義ナショナリズムの台頭、そしてとりわけドイツのロッジとキリスト教との特定の関係のため、寛容の精神が適用されなかった。

●19世紀のユダヤ人とドイツのフリーメーソン
 ベルリンにある3つのグランドロッジは、キリスト教の儀式に従っており、ユダヤ人の入会を許可しないことを満場一致で決定した。
 フランス革命(1789〜1795)とその後のナポレオン戦争の結果、メーソンの拡大とユダヤ人に対する寛容の広がりに繋がった。たとえば、ユダヤ人のロッジ「モルゲンレーテ」は、1807年フランクフルトに創設された。その最初のロッジ・マスターは、ロスチャイルド家の仲間で、フランクフルトの古いユダヤ人コミュニティの主要な家族と、ロスチャイルド家などの上流階級を登った人々と彼らの若いメンバーが参加した。
 このパターンは他の多くの都市でも繰り返された。ユダヤ人エリートのコミュニティからメイソンになった最初の個人は、とりわけ、ユダヤ・コミュニティの孤立を終わらせ、キリスト教世界との対話を開くことを求めた人物だった。
 したがって、「モルゲンレーテ」の創設は、フランクフルトのユダヤ人が、市民の解放を得るための闘争と密接に関連していた。フランクフルトのこのユダヤフリーメーソンブルジョアジーは、ユダヤ教のリベラルで改革的なビジョンにますます惹かれ、19世紀のドイツのユダヤ教の文化的および宗教的歴史において重要な役割を果たした。
 しかし、1871年ドイツ統一とそれに続くドイツのフリーメーソンの統一により、キリスト教の同質性に執着した人々は、ユダヤ人のメンバーを排除するために、1870年代に特定の保守的なロッジが生まれ、1880年代には、それまでユダヤ人を受け入れていたいくつかのロッジは彼らを排除し始めた。
(出展 Jean-Philippe Schreiber. Jews and Freemasonry in the nineteenth century. Cairn 2010)