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7 国際事件賠償 ベイルート米国大使館爆破事件(1983)

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米国大使館の車爆弾による爆破

 1983年4月18日の米国大使館爆破事件は、レバノンベイルートでの自爆テロで、レバノン人32人、アメリカ人17人、訪問者と通行人14人、合計63人が死亡した。犠牲者は主に大使館とCIAのスタッフだが、数人の米兵と1人の米海兵隊保安官も含まれていた。

 車爆弾によるテロは、4月18日午後1時頃、約910kgの爆薬を詰めたバンを運転する自爆テロ犯が、大使館の敷地に乗り入れ、建物の最前部のポーチコに駐車し、そこで爆発させた。

  それは米国の外交使節団に対する最も致命的な攻撃で、米国の標的に対するイスラム主義者の攻撃の始まりと見なされていた。

 1983年の米国大使館と米国海兵隊の兵舎の爆撃は、ヒズボラを形成したレバノンシーア派民兵によって行われたと考えられ、2016年4月米国最高裁判所は、1983年のベイルートでの爆撃やその他のテロ攻撃の犠牲者の家族が、凍結されたイランの資産20億ドルを引き渡すことを許可した。

 

●33年目の判決

    訴訟は、イランが組織した爆破事件の補償を求めて、長い法廷闘争を繰り広げてきた1,000人以上のアメリカ人によって提起された。家族によるロビー活動の後、オバマ政権、米国上院、および衆議院の指導者を代表する法務グループはすべて、家族を裏付ける裁判所の書類を提出した。

 2016年4月の米国最高裁判所の判決は、ニューヨークのシティバンクの信託口座に保管されているお金を原告に引き渡すべきという、控訴裁判所での2014年の判決に異議を唱えたイランの中央銀行に挫折をもたらした。(「アルジャジーラ」2016.4.20)