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4 有名人のスパイ 川島芳子

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軍服姿の川島芳子川島芳子の伝記本

 川島芳子(1907 - 1948)は、清朝の皇族・第10代粛親王(しゅくしんのう)善耆(ぜんき)の第十四王女。

 8歳のとき、粛親王の顧問だった大陸浪人川島浪速(なにわ 1866 - 1949)の養女となり、日本で教育を受けた。1927年に旅順のヤマトホテルで、関東軍参謀長の媒酌で蒙古族のカンジュルジャブと結婚式をあげたが、3年ほどで離婚した。

  その後、芳子は上海へ渡り、同地の駐在武官・田中隆吉(1893 - 1972)と交際して、日本軍の工作員として諜報活動に従事する。田中の回想によると、当時田中は、上海での諜報活動に関わるようになったという。また、芳子は孫文の長男孫科とダンスホール接触し、国民党内部の情報を入手し、この件で孫科は失脚したという。実際に諜報工作を行っていたのかどうかは、はっきりしていない。

 1931年11月には愛新覚羅溥儀(1906―1967)が、関東軍の要請を受けて天津から満洲へ脱出する。

 芳子はこの時、溥儀の皇后である婉容(えんよう、1906 - 1946)を、天津から連れ出すことを依頼され、旅順へ護送する任務に携わった。軍隊が交通規制をするなかを、川島芳子は男のタクシー運転手に変装して、静かに皇后宅に乗りつけ、タクシーに乗るよう告げた。彼女はただちに港に向かった。途中、何度も中国軍兵士に停止を命じられたが、持ち前の才覚と冷静さ、そしてなによりも魅力を武器にして切り抜け、皇后を日本の駆逐艦に無事乗船させることができたのである。

 1937年7月末に天津が日本軍に占領されると、芳子は天津で料亭「東興楼」を経営し、女将になった。1945年8月の日本敗戦で、各地に潜伏していた芳子は、10月に北平(北京)で国民党軍に逮捕され、漢奸として1947年10月に死刑判決が下された。