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7 北京の盛衰 北京同仁堂

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北京同仁堂

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康熙帝

「北京同仁堂」は、中国にある4つの伝統的な中国の薬局の1つ。 1669年(康熙8年)に楽顕揚によって設立され、1723年から皇帝医学に専念し、188年間に8人の皇帝を経てきた。同仁堂は創業から1954年の合弁事業まで、300年近く代々受け継がれてきた。 記録によると、楽顕揚の祖先は浙江省寧波で、明代の永楽時代に北京に移住したという。
 同仁堂の名前は清朝第四代康熙帝(1654—1722)に関連している伝説がある。
 康熙帝は奇妙な病気にかかり、宮殿の皇帝の医師は貴重な薬をすべて使ったがどれも効かない。ある日、康熙帝は一人で宮殿の夜の散歩に出かけ、通りに来て小さな薬局を見つけた。康熙帝が家に入った後、医者は康熙帝を診察して言った。「あなたはいつも、山や海の珍味を食べすぎが、かゆみとなった」。康熙帝は「病気は治るのか」と尋ねた。医師は「この薬を使えば良くなる」と言った。彼は瓶の中の薬を注ぎ、「これは「大黄」です。使い方は「大黄」を沸騰させて水槽に入れ、水温が適度になるのを待ってから、水槽に入って入浴すれば、癒すことができます。」
 康熙帝は宮殿に戻り、医者の指示に従って入浴した。案の定、彼が浴槽に入るとすぐにさわやかで快適さを感じた。3回洗った後、全身がかゆくならず、赤い斑点が消えた。康熙帝はとても幸せで、4日目に再び小さな薬屋に行った。康熙帝は医師を宮殿に推薦したかったが、彼は庶民のために薬を調合してきたので、宮殿に入ることを望まず、立派な薬局を建てたいとは思っていた。康熙帝は躊躇なく「薬局を建てたいのなら、同仁堂という名前をどうか?」とペンを取り出し、手書きで書いて封をした。これは康熙帝の力によって「同仁堂」が建てられたという伝説である。(資料 「毎日頭条」2018.2.5)