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21 連環画の壺 「王羲之伝」

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太守李矩の衛夫人から7歳の時から書を学ぶ王羲之

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王羲之の七番目の子が字のうまくなる方法を聞くと、 王羲之は大壺18鉢分の墨水を使用するまでと答えた

連環画の壺21 王羲之

王羲之(おうぎし303 - 361) は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族の家に生まれた。羲之は朝廷の高官から高く評価され、護軍将軍に就任するも、しばらくして地方転出を請い、会稽郡 ( 浙江省紹興市付近)長官となった。

羲之は会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、ここを終焉の地と定め、当地の名士たちとの交遊を楽しんだ。

354年、かねてより羲之と不仲であった王述が会稽内史を管轄する揚州刺史となる。王羲之は王述の下になることを恥じ、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、悠々自適の生活を過ごした。

太守李矩の衛夫人から7歳の時から書を学び、12歳の時に父の枕中の秘書を盗み見、その技量が進んだ。さらに各地を巡って古書を見、寝食を忘れて精進し、楷書・行書・草書の各書体について一家をなした。

(資料 連環画 「王羲之的伝説」浙江人民美術出版社 1980 )