シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

20 ソウルの盛衰 ロッテグループ

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ロッテワールドタワー

「ロッテグループ」は、日本と韓国の多国籍企業グループである。
現在の本社は、日本は東京都新宿区、韓国ではロッテワールドタワーにあり、日本ので創業を開始して以来、世界的にグループを拡大しており、創業者重光武雄(辛 格浩1921 - 2020)の故郷である韓国でも大規模な事業を展開している。

●沿革
 1967年 4月、韓国でロッテグループの母体である「ロッテ製菓」を設立。2016年の資料によると、会社の数は94個、資産総額は約108兆8940億ウォンで、資産総額基準、財界順位5位である。系列会社では、ロッテ製菓、ロッテ百貨店、ロッテ七星飲料、ロッテショッピング、ロッテフード、ロッテリア、ロッテカード、ロッテ建設、ロッテケミカルなどがある。
 創業者の重光武雄は、日本のロッテの収益を資金源として、当時の朴正煕大統領が辛格浩会長に外国資本の誘致のために韓国に投資をしてほしいとの依頼を受け、1965年の日韓国交正常化を経て、母国である韓国に韓国ロッテを発足させ、日本のロッテよりも大きい企業に育てた。大韓民国でのホテル事業は、日本の帝国ホテルをモデルにした。
 これらのホテル事業を始めることになった動機は、1970年には、ソウル市不良食品の取締り時に、ロッテガムに鉄粉が発見され、危機に包まれた。このとき、朴正煕大統領は前ロッテグループ会長(辛格浩)を呼んでホテル事業を指示した。当時小公洞にあった8階建ての半島のホテルを買収し、34階に増築する事業を実施した。これがロッテグループが多様な事業に発展する始まりとなった。(韓国「ウイキペディア」)
●ロッテの商業施設
・ロッテ百貨店
1979年開店、運営はロッテショッピング(株)。韓国の百貨店チェーン最大手。韓国内に32店舗をもつ。
ロッテワールド
1989年7月、ソウル特別市松坡区にあるテーマパーク「ロッテワールド」開園。施設にはロッテ百貨店、免税店を併設し観光名所として知られている。運営はホテル事業である「ホテルロッテ」のロッテワールド事業本部。
ロッテワールドタワー
 ソウル市松坡区第2ロッテワールド内にある多目的超高層ビル。2014年9月6日にプレオープン。複数の商業施設がオープンした当初は1日平均10万人の客が訪れていたが、建設に関わる事故の報道と高い駐車場料金の影響で、12月には1日平均7万人、2015年1月には1日平均5万3千人に客足が落ちこんだ。(朝鮮日報 2015.1.26)

19 ソウルの盛衰 「現代自動車グループ」

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「IONIQ 5」(写真 hyundai.com)

現代自動車グループヒュンダイ)」は韓国最大の自動車メーカーで、1999年の経営破綻し、傘下に入った「起亜(きあ)自動車」がある。
現代自動車」は1967年に工場を設立し、1985年に独自の研究開発を実現した。1986年にはアメリカ市場に参入し、世界中で高いブランド認知度を形成してきた。2019年のグループ販売台数は719万3357台で、世界第5位。

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(表 日本貿易振興機構ジェトロ)2020年10月)

●発展史
 「現代自動車」が最初に選んだ海外のパートナーは、フォードの英国支社。フォードが自動車や小型トラックの生産技術の提供である。 1970年代初頭、現代自動車の創設者である鄭周永(チョン・ジュヨン、1915 – 2001)は、独立した知的財産権を持つ自動車モデルを同時に開発することを提案した。1975年現代自動車のポニーモデルは、英国と日本の生産技術力を借りて、最初の自己開発製品として韓国国内市場に参入した。数年後、このポニーモデルは、南米、中東、アフリカの市場に参入し、「現代」の輸出の道を開いた。このポニーライトセダンは大衆消費者をターゲットとして約5,000米ドルの低価格で米国市場を開拓した。
 現代自動車は当初、日本の三菱自動車から技術支援を受けていたが、自動車技術の専門研究開発会社であるリカードと技術開発契約を結び、3つの新しいエンジンを開発した。韓国と他国とのエンジン技術のギャップを縮め、飛躍の中で世界に進出するという目標を達成した。2019年に傘下の起亜(キア)自動車が、年産30万台規模のインド工場を完成。世界第4位の自動車大国インドへのグループの進出の足掛かりとなる。
●日本市場への進出
 「現代自動車」の日本市場への進出は2001年。CMキャンペーンや、翌2002年にはFIFAワールドカップの公式スポンサーにもなって知名度を上げた。日本での2008年の年間登録台数は501台に留まったため、日本市場からの撤退を検討し始め、日本市場での広告を中断し、2010年をもって日本での乗用車販売を正式に終了した。

18 ソウルの盛衰 韓国の犯罪件数

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韓国の市・道区分図

●全犯罪発生と検挙傾向
 2019年の犯罪の発生件数は161万1906件であり、人口10万人当たりの発生件数は3108件であった。
 犯罪別の発生件数では知能犯罪38万1533件(人口割合735.8件)、交通犯罪37万7,354件(727.8件)、暴力犯罪28万7913件(555.3件)、窃盗犯罪18万6,957件(360.6件)などの順で表示される。
 最近5年間全体の犯罪の発生件数は、2015年以降減少していたが、2018年以降増加傾向にあり、前年に比べると2019年の全体の犯罪発生件数は小幅ながら増加した。

●地域の犯罪発生数(2019年)
 犯罪発生件数は、京畿道(39万4276件)、ソウル(30万9269件)、釜山(11万3138件)、慶南(9万6212件)、仁川(9万608件)などの順である。
 2018年と比較して大田、忠北、忠南、済州を除くすべての地域での犯罪発生件数が増加している。
 各地域の人口10万人当たり、最も高い地域は済州(3888.3件)、2位釜山(3314.1件)、ソウル(3178.8件)、大邱(3108.9件)、仁川(3064.2件)の順で高かった。

●犯罪別検挙数の推移(2015年〜2019年)
・2019年に134万2854件が検挙され、検挙された人数は158万5,638人であった。
2015年から2016年までの検挙件数と検挙人員ともに増加傾向であったが、2017年から減少したが、2019年に再び増加した。
・犯罪別には、2019年は前年と比べ凶悪犯罪、交通犯罪が検挙件数と検挙人員が減少した一方、知能犯罪は2017年以来、検挙件数及び検挙人員が増加し続けた。(資料 2019年の「韓国警察犯罪統計」より)

17 ソウルの盛衰 韓国映画史

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カン・ジェギュ監督「シュリ」(1999)

・1970年代、韓国の経済成長に伴いアメリカ映画が多数上映された。1980年代になると、韓国映画の検閲が緩和され始め、韓国映画産業は再び回復を迎え、年間約100本の映画が上映された。
・1981年、イム・グォンテク監督「曼荼羅」(1981)がベルリン国際映画祭金熊賞にノミネートされ、ペ・ヨンギュン監督「達磨はなぜ東へ行ったのか」が42回ロカルノ国際映画祭で金豹賞を受賞した。
●1990年代
・1990年、イム・グォンテク監督「将軍の息子」は全国で300万人の入場者数を記録した。
・1993年、イム・グォンテク監督「風の丘を越えて」が、ソウルで100万人の入場者数を記録した。この映画は、第1回上海国際映画祭で最優秀監督賞と最優秀女優賞を受賞した。しかし外国映画の影響で、韓国映画の市場シェアは過去最低の15.9%に低下した。
・1998年は韓国は「映画検閲制度」を正式に廃止し、映画の年齢別鑑賞制度に置き換えた。
・1999年、カン・ジェギュ監督「シュリ」韓国映画の頂点に立った。この朝鮮半島関係に関するスパイ映画で、全国で620万人の入場者に届き、これまでの韓国映画の動員記録を破った。

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パク・チャヌク監督「オールド・ボーイ」(2003)

●2000年代
・2003年、57回カンヌ国際映画祭パク・チャヌク監督「オールド・ボーイ」が審査員賞を受賞。51回サンセバスティアン国際映画祭でポン・ジュノの「殺人の追憶」が最優秀監督賞を受賞した。カン・ウソク監督「シルミド」(島の名前)は、1,000万人以上の入場者を獲得した最初の韓国映画になった。
・2004年、キム・ギドク監督「サマリア」で54回ベルリン国際映画祭で最優秀監督賞、映画「うつせみ」で61回ヴェネツィア国際映画祭最優秀監督賞を受賞した。
・2005年にイ・ジュニク監督「王の男」、2006年にポン・ジュノ監督「グエムル 漢江の怪物」に1000万人以上の入場者があり、韓国は国民全体の映画鑑賞の時代に入った。
・2008年から2010年にかけて、ナ・ホンジン監督「チェイサー」(2008)、「哀しき獣」(2010)、ポン・ジュノ監督「母なる証明」(2009)、チャン・チョルス監督「ビー・デビル」(2010)など、韓国の犯罪映画もピークを迎えた。

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新感染 ファイナル・エクスプレス」(2017)

●2010年代
・2012年、キム・ギドク「嘆きのピエタ」は、69回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞、同年チ​​ェ・ドンフン監督の「10人の泥棒たち」が再び韓国映画史の興行成績を更新。
・2014年、キム・ハンミン監督「バトル・オーシャン/海上決戦」は、韓国の人口の3分の1にあたる1760万人の映画視聴者を抱え、韓国映画史の興行成績を再び破った。
・2017年、ヨン・サンホの「新感染 ファイナル・エクスプレス」は、アジアで韓流映画の興行収入を更新した。
・2018年、イ・カンドンの「バーニング」は、71回カンヌ国際映画祭パルムドールの最終候補に選ばれ、カンヌ国際映画祭史上最高得点を記録した。
・2019年5月26日、ポン・ジュノ監督「パラサイト半地下の家族」が、72回カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞し、2億5700万米ドルの世界的な興行収入に達した。(資料 百度百科)

16 ソウルの盛衰 青年の失業

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OECD加盟国の15~24歳層の失業率(2020年6月基準)
newsweek 2020.8.14より

 2019年「OECD青年失業率」の統計を見ると、韓国では15~24歳層の人口の10.4%が失業状態にある。約100万人ほどの若者が失業者になる。これでもOECD平均の11.2%に比べ良い方という。
 しかし新型コロナウイルスの感染で企業が採用を控え、「就職準備生」である青年層(15〜29歳)の失業率が10.7%と上昇。韓国通貨危機の1999年6月(11.4%)以降、21年ぶりに最高値を記録した。
 特に25〜29歳の失業率(10.2%)は、1999年6月以降、歴代初めて10%台を突破した。
 また育児・家事などの具体的な理由もなく働かない人口が229万6000人で、1999年6月以降最大値を記録した。休労人口の増加は、特に20代(28.1%)と30代(29.0%)で最も大きく増えた。 (biz.chosun 2020.07.15)

●社会進出年齢の上昇も要因
 高学歴社会で大学進学が普通となると、就職年齢も上がり、就業現場に進出する青年の数が減少している。韓国では、1990年代までは社会進出年齢が兵役期間を含め専門学校を卒業すると、24〜25歳、4年制大学を卒業した場合、26〜27歳程度になる。しかし2009年ごろから、初期の過程を終えても、卒業猶予者が登場し始めた。その結果、30代前半に社会に進出するのが普遍的な現象となった。
 運が良く30代の前に卒業した場合、20代後半に社会に進出することになるが、それでも雇用市場の状況は厳しく、経歴職採用、高齢者優遇、退職者の再雇用の壁や、賃金ピーク制(高齢従業員の退職の代わりに、賃金を削って定年まで雇用を保証する制度)は、既成の労働者の反発で、企業は拒否か消極的に出るようになる。あれこれ青年層が就職しにくい環境に置かれている。低学歴者よりも高学歴者の方の失業率が高くなるという逆転現象も起きている。

●青年雇用率、青年失業率統計
 年度 青年失業率(%) 青年雇用率(%)
 2012 7.5 40.3
 2013 8.0 39.5
 2017 9.8 42.1
 2018 9.5 42.7
 資料/青年の失業 https://namu.wiki/w/청년실업

15ソウルの盛衰 1988年ソウルオリンピックの明暗

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1988年ソウルオリンピック主競技場 (84年完成)

 1988年ソウルオリンピックは、9月17日から10月2日までの16日間首都ソウルで開催された。1964年東京に続きアジアでの2度目の夏季オリンピックである。これに参加しなかったのは、北朝鮮キューバアルバニアセーシェルエチオピアニカラグアマダガスカルの7ヶ国のみである。前年11月28日に発生した大韓航空機爆破事件は、ソウルオリンピックの韓国単独開催の妨害を目的とした犯行だった。結果的に北朝鮮選手団は参加しなかった。
 一方、全斗煥大統領(任期1980-88) は、ソウルのイメージ刷新のため、「都市の美化」を命じた。自家用車は一日おきしか運転できず、犬肉店は一時休業し、仮設住宅に住む72万人の住民が強制移住させられた。
 しかし、何千人ものホームレスの人々が隔離されたことはよく知られていない。警察の行動の標的には、ホームレス、アルコール依存症者、精神障害者だけでなく、多くのホームレスの子供たちも含まれた。釜山市の「兄弟の家」に4000人が閉じ込められた。元弁護士は、福祉施設ではなく強制収容所だと言った。(中国「新聞広角」2016.4.23)

14 ソウルの盛衰  韓国の美容整形

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2010年の統計で、韓国は世界で千人当たりの形成手術が世界一。(「中国日報網」2013.2.1)

 韓国の美容整形技術の進歩と多くの成功例により、美容整形産業も韓国の新たな柱産業になった。 同時に、韓国の形成外科業界は徐々に世界的に知られるようになり、現地に行く傾向になっている。
 国際美容整形手術協会(ISAPS)によると、2017年の韓国の成形市場規模は約5兆ウォンと推定される。世界市場の4分の1を占めるほどになっており、人口1,000人あたりの年間の整形手術件数は13.5件程度で世界1位である。2位ギリシャ、3位イタリア、4位アメリカ、5位コロンビア、6位台湾、7位日本と続く。
 韓国統計庁の資料によると、韓国の整形外科医の数は(毎年第1四半期)2014年1,538人、2016年1,665人、2019年1,920人で、年々上昇している。(ISAPS資料では、韓国の整形外科医の数を2014年2,054人、2016年2,330人としており、調査内容が異なる)
●利用者の動向
・韓国で最も多くの人が受けた整形手術は、「目→しわ→鼻→胸」の順であり、外国人の場合、「顎顔面矯正術→顔面輪郭術→胸→脂肪吸引→鼻→脱毛→目」の順であった。患者10人のうち1人は男性であり、50代以上の中年層の成形手術も増加した。
・韓国の整形手術を受けた外国人は、中国人が7割を占め、その上昇幅は、タイ、ベトナムなどの東南アジア諸国が最も大きいとされる。2017年に成形手術をしに韓国に訪れた外国人は4万8,849人で、外国人診療費のうち、整形外科診療費は33.6%占める。
(資料 ACE Trader整形外科市場の現状2018)