1北京の盛衰 100年前の紫禁城(はじまり)
紫禁城に入る8カ国連合軍兵士 (写真「毎日頭条」2019.8.30)
1900年に起きた清朝末期の「義和団の乱」は、その勢いが北京へと展開し、6月10日、20万人の義和団が北京に入城した。
義和団鎮圧のために軍を派遣したのは、欧米七カ国と日本である。総司令官にはイギリス人のアルフレッド・ガスリーが就任した。
西太后は北京陥落前に紫禁城を脱出し、10月には西安に辿り着いた。
清朝は宣戦布告し、北京在住の外国人925名と中国人クリスチャン3000名ほどの老若男女が紫禁城に逃げ込んだ。
6月19日に24時間以内の国外退去命令が伝えられ、翌日から攻撃が始まった。2か月間の籠城のにち、海外からの援軍の到着で8月14日連合軍が北京を占領する。
23 上海の盛衰 上海の墓地の値段?
1993年に上海市民事局と葬儀局によって承認された「長安墓地」は、松、ヒノキの木々や花に囲まれた大変に美しい霊園である。 広さは480エーカーあり、「上海一流墓地」と評価されている。
15万柱の区画があり、竜、鳳凰、吉、祥、梅、蘭、竹、菊の8つの領域に分かれている。
墓石の写真と墓地面積、価格が紹介されている「上海墓地」のホームページを見ると、「長安墓園」は、3平米で30万元から40万元、1.95平米で27万元のものが紹介されていた。(2021年2月現在、ちなみに1元は16.26円だから30万元は378万円となる)
もっとも上海にある他の霊園も紹介されており、その一つ「上海海湾薗」では、「花壇葬」「植樹葬」を扱っており、4万元代からのものが見つかる。
上海墓地 http://www.shmudi.cn/index.asp
22上海の盛衰 上海ガニ
何年も前に、カニを食べる写真がインターネットで人気があり、「1945年の上海の貧しい家族は陽澄湖(ようちょうこ)のカニを食べてほとんど生き残れなかった」と題された。この写真はアメリカの写真家Walter Arrufatのもので、 彼は第二次大戦中米海軍に勤務し、1945年10月から1946年2月まで上海に住んでいた。
日本で上海カニと呼ばれている蟹は、中国では一般に毛ガニ(大闸蟹 dàzháxiè)として知られている。野生の毛ガニは揚子江河口の崇明島近くの海域に産卵し、上流の川や湖に移動して成長する。したがって毛ガニを上海カニと呼ぶのが普通です。上海虹橋空港から車でわずか30分の陽澄湖の毛ガニは有名で、近年は養殖が進んでいる。(出典「歴史頻道」2013.9)
21 上海の盛衰 上海ユダヤ難民記念館
上海ユダヤ難民記念館(長陽路62号)は、新しく改装され、2020年12月8日から一般公開された。展示ホールの全体の面積は、1000平米から4000平米以上に拡大され、展示点数も150から1,000近くに増えた。
展覧内容は「上海への脱出、避難生活、一体感、戦後での別れ、特別な友情、未来の共有」の6つのパートに分かれ、1,000近くの展示、12を超える情景再現、161の人物紹介がある。ユダヤ人が第二次大戦中に、ナチスから逃れた方法、上海虹口に来た方法、そして中国の人々との友好についての感動的な物語を知ることが出来る。(澎湃新聞 2021.1.28)
HP http://www.shhkjrm.com/node2/n4/n5/index.html