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15『日本の謎』 親鸞

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聖人流刑北陸におもむく『親鸞聖人一代記図絵』のコラージュ

謎15  親鸞はなぜ結婚したのか?

1207年(建永2年)2月、日本浄土宗の祖・法然(1133-1212 )ならびに浄土真宗の祖の親鸞 (1173-1263) を含む弟子が、後鳥羽上皇の怒りに触れ、専修念仏の停止と僧籍の剥奪、及び流罪に処せられる。

親鸞は「藤井善信」(ふじいよしざね)の俗名を与えられ、越後国国府新潟県上越市)に配流が決まる。1211年11月、流罪から5年後、勅免の宣旨が下る。親鸞は配流先で妻をめとったと思われる。

当時僧侶が身の回りの世話尾をする妻を持つことは珍しくなく、親鸞の先輩の聖覚(せいかく)も妻帯し愚禿(ぐとく)を名乗っていた。

越後時代にその地方の家から恵信尼(1182-1268) を迎え、4男3女を生んだ。親鸞は7年程越後にいたが、その後関東に行っている。(資料 山辺習学『親鸞日本評論社1935)