21 パリの盛衰 アンドレ・ブルトン
アンドレ・ブルトン(1896 - 1966)は、「シュルレアリスム宣言(1924)」で、シュルレアリスム運動を創始した。以後、『シュルレアリスム革命』誌の編集長となり、多くの賛同者がパリに集まる。
第二次大戦中はニューヨークに亡命し、戦後はフランスに戻る。仲間がシュルレアリスム運動から離れていくなかで、ブルトンは生涯シュルレアリストの立場を維持し続けた。パリ9区のフォンテーヌ通り42番地のブルトンの書斎には、アフリカの民芸品が多くあり、彼はそれにもシュルレアリスムの可能性を探っていた。
●シュルレアリスム宣言
『シュルレアリスム宣言』は、「自動記述」(Automatisme)による物語『溶ける魚』の序文だったが、「シュルレアリスム」という言葉を定義したことで、宣言へと姿を変えた。自動記述はあらゆる先入観を捨てて文章を書くというもの。一方霊媒がトランス状態になって筆記する自動筆記(Automatic writing)とは異なる。
●死
呼吸障害に苦しんでいたアンドレ・ブレトンは、1966年9月27日パリのラリボイジエール病院で死去(70歳)、パリのバティニョル墓地に埋葬された。