シュールの本棚

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22 パリの盛衰 ポール・ゴーギャンの人生

1848年パリで生まれたゴーギャンは、1868年に兵役でフランス海軍に入隊し、2年間勤めた。1871年23歳の時パリに戻り、パリ証券取引所で株式仲買人として働く。1873年頃から絵を描きはじめ、1876年に作品がサロンに入選する。
 実業家としての彼は、1879年には株式仲買人として高収入を得、絵画取引でも収入を得ていた。
しかし1882年、パリの株式市場が暴落し、絵画市場も収縮した。このためゴーギャンの収入は急減し、絵画を描いて生活する必要を感じるようになる。
 1887年、ゴーギャンは、パナマ共和国を訪れ、パナマ滞在中に破産する。カリブ海に浮かぶマルティニークにも出かけ、そこで作品を描いた。パリでゴーギャンの絵を見たゴッホは感銘を受け、2人は親しくなる。1891年4月ゴーギャンは絵を売ったお金でフランス領のタヒチ島に出発した。
1893年8月、フランスに戻り、タヒチを題材にした作品の制作を続けた。ゴーギャンは、叔父のイシドアから1万3000フランの遺産を相続した。ゴーギャンは1895年6月、再びタヒチに出発した。
1901年9月、タヒチ島から1500 km北東のマルケサス諸島のアトゥオナに住み始めた。
1903年5月8日の朝、彼は急死(54歳)した。アヘンチンキの過剰摂取が原因と言われる。翌9日午後、カトリック教会の墓地に埋葬される。

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パリのミュシャのアトリエで演奏するゴーギャン(1895年頃)