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24 大富豪の世界 相場師是川銀蔵

昭和57年度の高額納税者第1位 是川銀蔵

 最後の相場師といわれた是川銀蔵(1897- 1992)は、1931年、34歳で株式投資を始め、年末までに70円の元手で7000円に増やした。1933年に「昭和経済研究所」を設立。
 1977(昭和52)年の「日本セメント」の勝負で30億円を稼いだ。1981(昭和56)年、彼は現地視察を行ったあと、住友金属鉱山株の買い占めを行う。是川は約1500万株を買い占め、200億円の巨利を得たとされる。   
 1982(昭和57)年度の高額納税者番付で、彼は申告所得額28億9000万円で全国1位となった。そのほとんどが、住友金属鉱山株の売却益によるものである。
「84歳の老人が頭と度胸で200億円もの資産を作ったことは、定年退職者にとってまさに希望の星。相場師にはないタイプの人物で、行動力も説得力もある。今までにもいない、これからも2度と出ない人物でしょう」とさわがれた。
●税金問題
 是川が株式売買で大儲けしている割りに、申告所得が少ないとして、大阪国税局は彼の収入を徹底的に洗った。56年の12月に大阪国税局から昭和52年から56年の5年間に合計28億円の申告漏れを指摘され、修正申告を認めさせた。彼の52年から56年にかけての毎年の所得申告額は、それぞれ2021万円、2675万円、5656万円、一億4853万円だった。
 結局、最上眼の税金をとられた上に、過少申告税、延滞利息税が上乗せされ90%くらいの税金をとられることになった。是川は、税金を払うために平成2年1月、大阪の千里の周辺に持っていた3000坪の土地を29億円で売却。その使い道は過去の滞納した税金である。手元に残ったのはたった6000万円、30億円近い利益を得ても、残ったのはわずか2%という。しかも来年には、今年、土地を売って儲けた29億円に対する税金が待っているのだ。(出典 是川銀蔵「相場師一代」小学館文庫 1999)