17 ユダヤ人の謎 偽造パスポート
ヒトラーがドイツで権力を握った後、何千人ものユダヤ人が海外に逃亡し、その多くが米国、パレスチナ、ラテンアメリカに向かった。1938年以降、ほとんどの国がユダヤ人難民との国境を閉鎖しため、脱出を求めている人々は、特定のパスポートとビザの確保が重要になった。
1938年10月5日、ドイツ内務省は、ユダヤ人が保有するドイツのパスポートをすべて無効にした。ユダヤ人はパスポートを返却し、ユダヤの「J」の文字が刻印されたパスポートのみ有効になった。
スイスのいくつかの町では、立ち往生しているユダヤ人のために、南米のパスポートを取得する「救助ネットワーク」が誕生した。スイスにあるポーランド亡命政府の大使館の支援を受けたこの組織は、当初は自発的で散発的だった。
その後、1942年に元ポーランド国会議員で、世界ユダヤ人会議の代表が、この取り組みの調整を引き継いだ。
その後、民間の寄付とユダヤ人の慈善団体の協力のおかげで、ネットワークは数百万フランを集め、それを使って偽造された渡航文書を提供した領事館に支払うことができた。
●有料で支援
ただし発行されたパスポートは有料だった。たとえば、何百ものパスポートの発行を手伝ったHügliは、文書ごとに500スイスフランを請求した。他の外交官は1,000〜2,000スイスフランを要求したが、チューリッヒの1人の弁護士はサービス料に60万スイスフランを請求した。
これらのパスポートを手にしたユダヤ人は、中立的な南米の市民として自分を偽れたので、ある程度の保護が得れた。彼らの多くは、ドイツ人によって、主にフランスのヴィッテルとドイツのベルゲン-ベルゲンの収容所に移送され、少なくとも一時的に絶滅を免れた。
しかし、パラグアイが不法に入手したパスポートを無効にした後、ヴィッテルに収容された人の中には、後に死の収容所に強制送還された者もいた。
●忘れられた歴史
1943年までに、スイスの警察によって救助ネットワークを解体された。当局はすべての文書と写真を没収し、活動的なメンバーが逮捕された。(出典 swissinfo.ch January 14, 2020 )