11 ユダヤ人の秘密 阿片貿易
上海にあるホテル「和平飯店」を建てたビクター・サッスーン(1881ー1961)は、18世紀にバグダードに台頭したセム系ユダヤ人の富豪サッスーン家のデビッド・サッスーン(1792-1864)のひ孫にあたる。
祖父のデビッド・サッスーンはバグダードで活動していたが、オスマン帝国が地元のユダヤ人を迫害したため、ユダヤ人の一家はイギリス領インドのボンベイ(現ムンバイ)に移住した。デビッドは1832年にボンベイで「サッスーン商会」を創業し、インド産の阿片を密売し始めた。サッスーン商会はイギリスの東インド会社からインド産の阿片の専売権を取得し、阿片を中国で売って利益を上げた。しかし、サッスーン商会が真にその地位を確立するのは、新興の上海だった。
●上海のユダヤ人
阿片戦争(1840-1842)の結果、上海はイギリスの貿易港となり、19世紀後半には上海にユダヤ人共同体が出来上がった。この当時の上海のユダヤ人は、ハザール系ユダヤ人4000人、セム系ユダヤ人が700人ほどであった。阿片戦争以降、セム系ユダヤ人が上海を本拠地に活躍し、「上海証券取引所」でも所長と99人の会員の3分の1がセム系ユダヤ人だった。
サッスーン商会は、ロンドンに本部を、上海に営業所を設け、インド・東南アジア・シナに投資を展開していった。
サッスーン財閥は、デビッド・サッスーンの死後、長男のアルバート・サッスーン(1818-1893)が相続し、次いで次男のイリアス・サッスーンの息子エドワード・サッスーン(1856-1912)が相続した。エドワード・サッスーンの死後、息子のビクター・サッスーン(1881ー1961)がサッスーン財閥を相続した。
ビクター・サッスーンは上海のユダヤ人社会のリーダーで、サッスーン一族の最盛期を体現した。彼は不動産投資に精を出し、「グローヴナーハウス(現・錦江飯店中楼)」「メトロポールホテル(現・新城飯店)」「サッスーンハウス(現・和平飯店)」などを建築した。
しかし第2次大戦後に中国共産党が誕生し、上海の資本主義は崩壊した。そのためビクターは、彼は中国での事業権を売却し、バハマのナッソーに移転した。