5 国際事件賠償 シベリア抑留問題(1945-1956)
●日本人捕虜
スターリンは、1945年8月16日には「日本人を捕虜として用いない」との命令を内務人民委員ベリヤに下していたが、8月23日にはこれを翻し、日本軍捕虜50万人をソ連内の捕虜収容所へ移送し、強制労働を行わせる命令を下した。ソ連によって戦後に抑留された日本人は約57万5000人に上る。厳寒環境下で苛烈な労働を強要させられ、約5万8000人が死亡した。
1947年から日ソ国交回復する1956年にかけて、抑留者47万3000人の日本への帰国事業が行われた。
●ドイツ人捕虜
ポツダム会談(1945.7.17~8.2)で 、チャーチルが炭鉱労働者不足を嘆いた際に、スターリンは、「ドイツの捕虜を使えばいい。わが国ではそうしている」と答え、4万人のドイツ人捕虜を本国に移送することをすすめた。
西ドイツ委員会による推定は、1941年から1952年の間にソビエト収容所で、ほぼ100万人のドイツ人捕虜が死亡したと述べている。(ソ連のドイツ人捕虜 military--history-fandom-com.)
●シベリア特措法成立。元抑留者に給付金、対象7万人
戦後旧ソ連にシベリアやモンゴルに抑留された元日本兵らに特別給付金を支給する「戦後強制抑留者特別措置法(シベリア特措法)」が、衆院本会議で可決、成立した(2010.6.16)。生存している約7万人が対象で、抑留期間に応じて25万~150万円が支給される。
元抑留者たちが平均88歳あまりと高齢で早期の支給が望まれるとして、同法は遅くとも17日中には施行され、給付金をもらえる人が確定する。
財源には、1988年から元抑留者らへの慰謝事業を行ってきた独立行政法人「平和祈念事業特別基金」が国庫へ返納した資本金約200億円をあてる。厚生労働省などによると、シベリアやモンゴルなどへ約58万人が抑留され、うち約47万人が帰還したとされる。(「朝日新聞」2010.6.16)