3 国際事件賠償 放射能を浴びた第五福竜丸(1954)
1954年3月1日、ビキニ環礁でアメリカ軍が行った水爆実験で、マーシャル諸島近海にいたが、アメリカが設定した危険水域の外で操業していた静岡県のマグロ漁船「第五福竜丸」は、原爆実験の影響を受けて被爆した。
乗組員らは原爆による降灰に見舞われ、危険を察知して海域からの脱出を図ったが、延縄の収容に約4~5時間手間取り、放射性降下物を全身に被って、23名の乗組員全員が被爆した。帰港したのち乗組員は「急性放射線症」と診断された。
当初、米国は、第五福竜丸の汚染の程度は取るに足らないものと主張した。その後、米国は死亡した無線長の久保山さんの未亡人と子供たちに約2,800ドル(2020年換算で26,700ドル)と同等の金額を日本円で支払った。この第五福竜丸の汚染被害は、汚染された魚が市場に出回ることへの恐れから、日本で激しい反核運動が引き起こった。
●補償活動
予想以上の被害が発生した原因は、当初アメリカ軍が実験が及ぼす危険区域を狭く設定したことにあった。 日本の反核運動が反米運動へと移行するのを恐れたアメリカは、被爆者補償の交渉を急いだ。 そこで、日米政府は被曝者補償を交渉し、「日本政府はアメリカ政府の責任を追及しない」と確約して事件の決着を図った。
日本への補償金は1,530万ドルで、そのうち漁業は200万ドル((当時約7億2,000万 円)が支払われた。
第五福竜丸以外の太平洋上で漁をしている漁船の汚染マグロはあったが、アメリカ政府の見舞金は、第五福竜丸だけに一人あたり200万円が支払われた。日本政府は、米国政府からのさらなる賠償を追求しないことを約束した。
船の将来について、米軍は横須賀の基地に船を移動して処分することを提案した。一方、日本政府は残留放射線研究のため、船を購入すべきだと主張した。8月22日、この船は日本政府によって購入され、東京水産大学に曳航された。(出典 日本、英語ウィキペディア)