19 戦争経済 戦時中のユダヤ人の財産没収
ドイツで権力を掌握したナチスは、ユダヤ人の財産に目をつけた。最初の数年間、移住したユダヤ人の財産を押収することに集中した。これは主に、ドイツを離れるユダヤ人の資産持ち出しを制限することによって行われた。現金の額と財産の価値には厳しい制限が課せられた。ナチ権力の最初の6年間(1933-39)、400以上の国の法令と規制により、公的および私的生活のあらゆる側面が制限された。
●ユダヤ人の脱出税
ドイツを離れるユダヤ人は、許可を得るために厳しい賦課金が課せられた。これは1931年にワイマール共和国が制定したもので、資本逃避、つまり現金と金の流出を防ぐことにあった。しかしナチはこの脱出税を再検討し、大幅に増税した。税金は国内資産の25%に引き上げられ、現金か金で支払う義務が課せられた。1938年までに、ユダヤ人はSSが管理する銀行で現金を支払い莫大な金額が集められた。ナチ以前の脱出税は100万のライヒスマルク(1932)から、3億4200万ライヒスマルク(1938)に達した。
●ユダヤ企業の破産(1937)
ユダヤ人に対するナチスの圧力の結果、何千ものユダヤ人企業が破産した。ヒトラーが権力を掌握したドイツの約10万のユダヤ人企業のうち、5年以内にまだユダヤ人に残っていたのは約3分の1に過ぎなかったが、最終的にはユダヤ人の企業は法律で禁止された。
●ユダヤ人の財産目録(1938年4月)
経済相に就任したヘルマン・ゲーリングは、すべてのユダヤ人に、5,000ライヒスマルク以上の価値のあるすべての財産の目録を2ヶ月以内に提出するよう命じた(1938年4月)。目録の提出が必要だったのは企業だけでなく、個人的な銀行口座、株式、債券、不動産、芸術、宝石、硬貨や切手収集、その他の資産なども含まれていた。そしてこれは、後に占領下のヨーロッパ全体に拡大された。(出典 The Wages of Destruction by Adam Tooze(2007)
●ロスチャイルドの身代金
友人から警告を受けたものの、ユダヤ人で大富豪のルイ・ロスチャイルドは、オーストリアを離れることを拒否した。彼は1938年3月12日、オーストリアがナチスドイツに併合されたのと同じ日に、ウィーンのアスペルン空港でゲシュタポ(秘密警察)逮捕された。
ロスチャイルド家は、身代金として12万ポンド(今日の価値では約1,100万ドル)を提供した。
しかし、ナチスははるかに高い目標を掲げていた。ナチスは、ヨーロッパで最大の製鉄所会社の1つヴィートコヴィツェ(チェコ)の51%の株式を望んでいた。ナチスは兵器生産のために鋼を必要としていたのだ。
1939年5月11日、ナチスは14か月間人質にした後、ルイ・ロスチャイルドを2100万ドル(今日の価値では4億ドル以上)と交換した。これは、歴史上個人に支払われた史上最大の身代金の1つと言える。(History of Yesterday 2021.10.28)