シュールの本棚

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14 有名人と同性愛  セシル・ローズ

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ローズとピカリング。背景はローズの墓

 セシル・ローズ(1853-1902)は、英国と南アフリカの政治家。 英国で最も有名な帝国主義者の野心を実現した聖職者の息子であるローズは、1870年代初頭に、兄と合流するために南アフリカに行った。 両者は当時発見されたキンバリー金鉱に移動し、ローズは南アフリカで裕福な金とダイヤモンドの大御所になった。

彼はまた政治の世界に入り、ケープ植民地の首相を務めた。ローズの莫大な財産の多くは、彼の名を冠したオックスフォード奨学金を設立するために残された。 ローズは生涯独身で「私は自分の手で仕事が多すぎる」と主張した。

 ビクトリア女王は、彼が女性嫌いであるかどうか彼に尋ねたと伝えられているが、ローズはそれを否定した。 彼の人生の間、彼は若い男性に囲まれ、彼らに完全な忠誠を要求したが、ローズの愛情で報いた。

A.トーマスによれば、「ローズの人生の最大の愛」の対象は、家族と一緒に南アフリカに移住した聖職者の息子ネヴィル・ピカリング(1857-1886) だった。商人に弟子入りしたピカリングは、1880年代初頭にローズと出会い、すぐに秘書に任命された。ローズとピカリングは、ある政府高官が「絶対に恋人のような友情」と呼んだコテージに一緒に住んでいた。

 ローズの献身は、1882年にピカリングの25歳の誕生日の重要な交渉から戻ったときに明らかになる。 その際、ローズは新しい遺言を作成し、彼の全財産をピカリングに任せた。

●愛人の死 / 2年後、ピッカリングは落馬し落ちた茂みのとげにさされ感染症を発症した。ローズは彼を6週間忠実に看護し、その間、ビジネス上の利益に関する情報にも無視した。彼にとってピッカリングは、「あなたは私にとって父、母、兄弟、姉妹だった」とささやいた後、ローズの腕の中で亡くなった。彼の葬式で、ローズはヒステリックに泣き、式典が中断される程だった。

 ローズはその後、それほど強くはなかったが、同様の種類のいくつかの親密な関係を持っていた。

ハンサムな青年であるハリー・カリーもローズと彼の会社のいくつかの秘書になり、彼をロンドンに連れて行った。

カレーが結婚したときにローズは非常に動揺し、カレーと決別している。 ( 資料 A.Thomas, Rhodes, London, 1996)