8芸術家と金 チャップリン
チャールズ・チャップリン(1889 - 1977)は、イギリス出身の映画俳優、映画監督。映画史で最も重要な人物のひとり。
19歳でカーノー劇団に入り、コメディアンとなった。アメリカ巡業中に映画会社からスカウトされ、週給150ドルで契約を交わし、1914年に映画デビューした。彼の映画が評判になり、その年末、チャップリンは、契約更新として週給1000ドルを要求したが拒否された。そこでチャップリンは、週給1250ドルのギャラと1万ドルのボーナスを提示したシカゴのエッサネイ社に移籍し、1919年にはユナイテッド・アーティスツを共同設立した。
1915年にチャップリンの人気は爆発的に上昇し、映画業界で最初の国際的なスターとなった。12月にエッサネイ社との契約が切れると、次の契約先に15万ドルのボーナスを要求した。1916年2月に、年収67万ドルでミューチュアル社と契約を結んだ。1917年6月、チャップリンは次にファースト・ナショナル社と「100万ドル契約」の配給契約を結んだ。この契約では、8本の映画を制作し、1本あたり12万5000ドルの前金を受け取ることが決定した。
1927年1月に2番目の妻が離婚訴訟を起こした。チャップリンは60万ドルの和解金を支払い、リタとの離婚が成立した。
1930年12月に『街の灯』が300万ドルを超える興行収益をあげた。
1952年『ライムライト』のワールド・プレミアのために、彼はロンドンに向かったが、2日後に司法長官が、これまで政治的に問題を起こしたとして、彼の再入国許可が取り消した。そこで彼はアメリカにある財産をヨーロッパに持ち出す決定をし、スイスに移住することに決めた。
1977年12月25日のクリスマスの早朝、チャップリンは自宅で睡眠中に脳卒中のため亡くなった。『キッド』(1921)、『黄金狂時代』(1925)、『街の灯』(1931)、『モダン・タイムス』(1936)、『ライムライト』(1953)などの傑作がある。