15「作家の死」 マルキ・ド・サド
サディズムの名称の元となったサド侯爵(1740ー1814)の小説を読むと、彼の快楽追及に対する執念と神への反抗心は、すざまじいレベルに達していることがわかる。
彼は猥褻行為のためにヴァンセンヌ城で逮捕され、投獄された。そして1778年に脱獄したがすぐに戻された。1784年、ヴァンセンヌ城は閉鎖され、サドはバスティーユ監獄に移された。1789年7月4日、彼は異常行動故に、パリ近郊のシャラントンの精神病院に移送。その10日後にバスティーユ襲撃事件が発生した。
1801年、ナポレオンは、猥褻物の作者の逮捕を命じ、サドは逮捕され、サントペラジー刑務所に収監された。しかし再び彼はシャラントンの精神病院に送られた。そして遺言書を書いた8年後の1814年12月2日に死亡。彼は森の中の埋葬を望んだが、希望は叶わなかった。(サドの肖像は、マンレイの作1938年、背景はバスティーユ監獄)