13 ベルリンの盛衰 殺された8万人のメーソン会員
1933年、アドルフ・ヒトラー(1889-1945)は、が権力を掌握した早い時期に、全ての秘密結社は彼の世界征服の計画に有害であると断言した。そのため、ユダヤ人とカトリックなどに加え、フリーメーソン会員が、排除されるために選び出された。 ヒトラーは、フリーメーソンの担当であるアドルフ・アイヒマン(1906-1962 )に血の浄化を実行するよう命じた。
ゲシュタポでのアイヒマンの最初の仕事はユダヤ人ではなく、フリーメーソン対策で、ドイツの全フリーメーソン会員のカード式索引システムを作成することであった。
●8万人のメーソン会員の死
その当時、ドイツには8万5,000人のメーソン会員がいた。アイヒマンは、ひそかに彼らのすべてを処刑するという厳しい命令を出した。 言うまでもなく、彼の命令は実行され、8万人のメーソン会員が、会員であったという理由で殺された。何らかの理由で、5,000人のドイツのメーソン会員には彼らの名前が残されていなかったので、彼らの命は助かった。 彼らは、フリーメーソンの記録を隠し、会員の指輪とピンをつけるのを止めた。
●シンボルは「忘れな草」
戦前のドイツのグランドロッジの1つ、バイロイトの太陽グランドロッジは、彼らに差し迫った問題を感じ、伝統的なメーソンの定規とコンパスのシンボルの代わりに、忘れな草(DAS VERGISSMEINNICHT 下図)の印をつけることに決めた。 新しいシンボルは、 フリーメーソンのロッジと資産を没収したナチの注意をひかなかった。
メーソンは地下に隠れたが、同胞が仲間を認識できる手段を持つことは必要だった。 ナチの時代を通して、青い「忘れな草」のシンボルは、兄弟を識別し、ナチに発見されることなく情報交換をした。
皮肉にも、これはヒトラーの大好きな花であった。 アイヒマンは、この「忘れな草」の花の本当の意味が決してわからなかったようだ。 1947年、バイロイトで前のグランドマスター、バイアーによって太陽のグランドロッジが再開された。
出典 The Forget-Me-Not by Grand Lodge of Iowa, A.F. & A.M. (2002.8)