シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

5ベルリンの盛衰 嘆きの天使

f:id:danbuer:20210528163211j:plain

嘆きの天使」のドイツ語版パンフレット(1930)

 映画「嘆きの天使」は、ドイツの最も初期のサウンド映画の1つ。1929年から30年にかけて、ジョセフ・フォン・スターンバーグ監督(1894 - 1969)の下で製作された。脚本は、ハインリヒ・マンの小説「アンラット教授」。映画の初演は、1930年4月1日ベルリンのグロリアパラストで行われた。同じ俳優と同時に制作された英語版「ブルーエンジェル」は、7月4日にロンドンで初演。
 高校教師のイマニュエル・ラスは、学生の間や街でうだつがあがらない男。ある日、授業中に生徒のもつ歌手の写真カードを発見した。ラスはすぐに評判の悪いキャバレーを調べるために店に出かけた。そこでラスは歌手のローラに人目惚れ、彼女の魅力に夢中になって店に通い、彼女と結婚するために仕事をやめた。彼女の側では、ラスのお金にしか興味がなく、彼の財産が使い果たされた後、2人の関係は下り坂になっていく。
●映画の背景
 この映画は、米国で成功を収めたスターンバーグが監督。映画が計画されていたとき、経済危機と高い失業率でドイツの時代は悪かった。脚本は、オリジナルとは関係のないセンセーショナルな映画に作り直された。スターンバーグはマレーネ・ディートリヒ(1901 - 1992)とハリウッドの契約を結ぶことを決定。緊迫した経済状況にもかかわらず、教師役のエミル・ジャニングに出演料20万ライヒスマルク、マレーネ・ディートリヒは当時スターではなかったため、2万5000ライヒスマルクだった。
 スターンバーグとマレーネ・ディートリヒのコンビは非常に緊密で、それにより、ディートリッヒはスターンバーグの芸術的能力を信じて完全に彼の意志に服従した。
 この映画は、ドイツ語版と英語版で同じ俳優で一緒に撮影された。1936年、マレーネ・ディートリヒは、「映画業界で唯一のドイツの世界的スター」となった。ナチスも彼らをハリウッドから連れ戻すことを望んでいた。しかし彼女はナチスを嫌い「断固として拒否」した。