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4ベルリンの盛衰 毒ガス兵器の登場

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化学兵器の父フリッツ・ハーバー

 ドイツ系ユダヤ人で有機化学博士のフリッツ・ハーバー(1868–1934)は、さまざまな製造企業に携わる裕福なドイツ系ユダヤ人の家族の出身。1911年、彼はベルリンのカイザーヴィルヘルム物理化学・電気化学研究所の所長に就任した。そこで彼は、第一次大戦中、新しい兵器(最初の例は塩素ガス)を開発し、1915年にベルギーのイープルの西部戦線での最初の配備を監督した。この恐ろしい兵器の宣伝で、化学者で彼の妻クララを自殺に追いやった。他の多くの人々も彼の戦時中の役割を非難した。(資料 sciencehistory.org )
第一次大戦
 化学兵器の最初の大規模な使用は第一次大戦からである。使用された武器の種類は、催涙ガスから、ホスゲン、塩素ガス、マスタードガスなどの致命的な薬剤まで多岐にわたる。 ガス攻撃による計130万人の死傷者のうち、約9万人が死亡した。ガスマスクなどの対抗手段ができたため、ガスの使用が増えるにつれて、有効性は低下した。
 ドイツ軍が武器としてのガスの大規模な使用の例は、1915年1月31日、ボリムフの戦いにドイツがワルシャワの西のロシアの陣地に液体臭化キシリル催涙ガスを含む18,000発の砲弾を発射したときである。

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西部戦線でガスマスクをつけた英軍兵士(1916年)

 ドイツ軍による最初の塩素ガス攻撃は1915年1月2日、140人のイギリス人将校が殺された。
 1915年8月6日、ドイツ軍はオソヴィエツ要塞を守るロシア軍に対して塩素ガスを使用した。ドイツ人はロシア人が防毒マスクを持っていないことを知っていたので、東部戦線で化学兵器を使用した。ロシア軍は9,000人の死傷者を出し、1,000人以上の死者を出した。
 戦争中に製造されたホスゲンは、すべての化学兵器の合計19万トンのうち、約3万6600トンで、製造量では塩素(93,800トン)に次ぐものでした。
ホスゲンは、マスタードガスほど悪名高くないが、はるかに多くの人を殺した。第一次大戦中に化学兵器によって亡くなった9万人の約85%である。
資料 英文ウィキペディア