7モスクワの盛衰 カラシニコフAK-47
ミハイル・カラシニコフ(1919 - 2013)は、ロシアの銃器設計者で、彼が発明した自動小銃「AK-47」は、史上もっとも大量に製造された。
旧ソ連とロシアを通じて直接製造されたカラシニコフ銃は約7000万丁。他国による生産分を含めると、約1億丁が造られたとされる。
●カラシニコフの言葉
「1947年は私にとって決定的な年だったが、我が国にとっても転換点だった。冷戦という国際情勢の中で、このターニングポイントは国防力に関わるものだ。というのも、まさにこの年、ソ連の科学者たちが原子爆弾の製造に成功したのである。また、通貨改革や配給カードの廃止が実施された年でもある。
1948年1月10日、ショーロヴォ武器試験場で科学技術委員会の会議が開かれた。その13人のメンバーのうち、カラシニコフ突撃銃がすべての要件をもっとも満たしていることに異議を唱える者はいなかった。私はそのことを今でもとても誇らしく思っている。AK47の基本原理に基づいて製作された銃が50年以上も使われているという事実は、戦場でのこの銃の優秀性をはっきりと立証している。20世紀後半につくられた突撃銃や軽機関銃のすべてに、それがロシア製であろうと外国製であろうと例外なく、AKの基本原理を模倣した要素が見られる。そして今日でも1950年代につくられたカラシニコフ銃がまったく問題なく作動しているのだ。」(エレナ・ジョリー著「カラシニコフ自伝」朝日新聞出版 2008年)