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8 ソウルの盛衰 朴正煕暗殺事件

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「朴正煕、最後の一日」草思社(2006)の表紙

 第5代〜9代までの韓国大統領 、朴 正煕(パク・チョンヒ1917 - 1979)は、任期を5期の在任中、独裁的に開発政策を推し進めた。日韓基本条約を批准して日韓両国の国交を正常化し、更にアメリカの要請で、1964年にベトナム戦争に韓国軍を出兵させるなど、日米両国の経済支援を得て高度経済成長を達成した。
 朴正煕(パク・チョンヒ)暗殺事件は、1979年10月26日にソウルで、中央情報部(KCIA)部長が朴正煕大統領を殺害した事件である。
 中央情報部部長・金載圭は、友人だった朴大統領にしばしば叱責され、またライバル関係にあった車大統領府警護室長からも、金泳三の総裁就任阻止工作の失敗を非難された。このため、金は2人に恨みを持ち、殺害の実施に及んだと言う。
 10月26日夜、大統領を迎えた晩餐がソウル市鍾路区宮井洞(クンジョンドン)にあるKCIA所有の秘密宴会場で行われた。この席で、朴大統領は金に、学生によるアメリカ文化館占拠事件の責任を追及すると、車室長もそれに追従して叱責した。金は中座して部下に、「銃声が聞こえたら控室の大統領府警護員(車の部下)を射殺するように指示した。
 午后7時41分、金は晩餐会場に戻り「閣下、こんな虫けらのような奴(車)を連れて、政治がちゃんとできますか?」と叫び、車と朴に1発ずつ拳銃を発射した。車は右手首を貫通、大統領は右肺から背中に貫通した。しかしここで拳銃の引き金を引いても弾が出なかった。この銃声を電気のショートと勘違いした職員によって室内の電気が消された。金はすぐに晩餐会場を出ると、警護員らを射殺した部下から拳銃を借りて再び晩餐会場に戻り、車と朴を銃で1発ずつ撃った。このとき晩餐会場には、他に室長の金桂元やホステス2名も同席していたが、危害は受けなかった。
 10月27日、金載圭とその部下は国軍保安司令部に逮捕され、のちに軍事法廷で死刑が宣告された。(参考 ウイキペディア)