シュールの本棚

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8 香港の盛衰 九広鉄路の事故

 九広鉄路(きゅうこうてつろ)は、香港と中国本土を結ぶ最初の国境を越えた鉄道。香港の九龍と広州間を走る路線が1906年に建設を開始、1910年に開通した。1949年の中華人民共和国の成立で、国境での分断運転となる。九広鉄路は香港政庁から会社に組織転換され、1983年に九広鉄路公司 が成立する。この鉄道では自然災害に伴ういくつかの事故が発生した。

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1923年6月14日の脱線事故

 1923年6月14日、非常に大雨が降った後、地滑りが発生し、数百トンの土が側面の切断から滑り落ちた。この崩壊は列車の通過中に発生し、機関車とフロント車輛が堤防を転がり落ちて列車を脱線させたが、幸いけが人はなかった。

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1931年4月20日脱線事故

 1931年4月20日の午後、集中豪雨により大量の水が渓流を満たした。大学駅の南にある橋に、午後5時10分頃にカオルーン行きの列車が近づくと、損傷した堤防が崩壊し、機関車と最初の4台の客車が脱線して堤防を6m落下した。この事故で12人が死亡、8人が重傷を負った。この鉄道は、この事故が起きるまでは、重傷者も出ずに2400万人の乗客を運んでいた。資料(HP「香港グループの産業史」The Industrial History of Hong Kong Group 2020.5.20より)