シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

21 北京の盛衰 「八大胡同」

f:id:danbuer:20210311111408j:plain

「八大胡同」は、旧北京の花街柳巷の代名詞 (「捜狐」2018.4.14)

 「八大胡同」(bā dà hú tòng)は、かつての北京の遊郭の代名詞だった。 「八大胡同」は、西珠市口大街の北、鉄樹斜街の南、西から東に位置している。
 北京には胡同がたくさんあるが、「八大胡同」は国内外で有名。特に清王朝時代には、多くの役人がここにやって来た。
 実際、古い北京人が言及する「八大胡同」は、8つの通りや路地を指すのではなく、8つの通りや路地を越えた胡同の、正面玄関の外の大栅欄街を指す。ほぼ100軒の家からなる大小の遊郭。しかし、当時これらの「八大胡同」の遊郭のほとんどは一流と二流で、遊女の「階級」は比較的高かった。
 清の時代には、北京の都心部での売春宿の開店が禁止されていたため、「八大胡同」に次々と遊郭が開店した。1942年の統計によると、北京には263の遊郭と2,597人の遊女がいた。
 日中戦争後の1949年11月に、北京は中共北京市委員と政府によって、市内のすべての遊郭が一閉鎖され、抑圧されていた1200人以上の遊女が解放された。それ以来、北京には遊女のいない都市になった。(資料 李金竜「八大胡同」中原農民出版社、2000.10)