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10 上海の盛衰  ダンスホール「百楽門」の出資者

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1932年オープンした「百楽門」

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ダンスホール室内

 上海を舞台にした映画やテレビドラマでは、​​ダンスホールがよく登場するが、上海ではほとんどの人がそれが「百楽門」(パラマウント)であることを知っている。当時のダンサーの募集条件はダンスのうまさ、ルックスの良さ、体型の良さの3つ。人気のあるダンサーの収入は多く、月額固定給だけでなく、ダンスチケット収入やゲストのチップも月額100元以上。当時上海の労働者の月収は10元前後なので、その差は歴然。
 この壮大なダンスホールのオーナーは盛爱颐(シェン・アイイー、1900—1983 )で、当時32歳の女性。盛爱颐は江蘇省武進県出身で、上海最大の資本家、盛宣懐の7番目の娘。宋子文(宋三姉妹は実の姉妹)にも尊敬されていた。盛爱颐は結婚してすぐに、家族の遺産から60万両の銀で、ダンスホール「百楽門」を建設した。1990年代に、「百楽門」は地元の法律や規制によって保護された上海の優れた歴史的建造物になった。(腾訊新聞 2020.12.28)