シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

7 上海の盛衰 戦時中のユダヤ人難民

f:id:danbuer:20210125065557j:plain

ユダヤ人救援機関JDC施設(中文ウィキペディアより)

 戦争中にナチスやから逃げのびた18,000人のユダヤ人難民が、主に上海の虹口、北外灘地域に住むことを選択した。
当時、日本の上海共同租界工部局が残した年報には、ユダヤ人難民について次のように記録している。
 「1939年及び1940年共同租界の外人人口は、欧州を引揚げ來つたユダヤ人難民1万8~9000名のため増加するに至つた。彼等は大部分始んど無一物で來たのであつた。ユダヤ人難民の流入が相当甚しくなつたので、1939年8月、その後の入境に関する取締規則を設け、一定額の資本金を所持する者、又は既に上海にあつて充分経済上の能力ある者と親族関係にある者に限ることとした。この規則の結果、入境者の数は漸く減少するに至つた。
 1940年4月現在、上海欧州ユダヤ人難民救済委員会に登記しておる者は1万4000名であるが、別に独立自活してある者が4000名あつた。本年6月に至つて入境制限を一厳重にする必要を認め、欧州難民入境に関する新規則を公布した。これら難民の大部分は共同租界虹口地区に定住し、すでにユダヤ人街というべきものが出来上がった。」(1941年「上海共同租界工部局年報」41p)
 このゲットーは日本降伏の翌日、1945年9月3日に解放された。