シュールの本棚

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3 上海の盛衰 上海租界時代の人口

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大正時代の日本総領事館(上海)

 上海が開港した1842年(天保13年)の終わりには、租界(外人居留地)にはイギリス領事館のスタッフを含めて、25人の英国人しかいなかった。1846年の秋に、上海は徐々に商業港の初期の形を取り、外国人の大多数はイギリス人だが、アメリカ人やデンマーク人、ポルトガル人なども交ってきた。
  1905年(明治38年)には、フランス租界には831人(フランス274人、イギリス109人、日本人73人、ドイツ人47人、ポルトガル人31人米人21人)の外国人がいた。日本人の上海への流入は、外国社会全体を揺るがすだけでなく、その意味を変えていく。
●増加する日本人割合
 5年後の1910年(明治43年)に、外人の駐在員の総数は1万3436人となり、日本人の駐在員は3361人と2位に跳ね上がった。上海での海外での日本人の力の急速な増加は、日本の地理的位置とその近代化に基づいているという。
 1920年(大正9年)の両租界内の人口は、日本人1万5021人で首位、イギリス人は6385人、3位はアメリカの2813人。その他を含む合計は2万6869人となる。一方両租界内の中国人の人口は92万6500人で、租界内の外国人の割合は2.9%に過ぎない。(資料 「清末上海租界社会」(文史哲出版1978)、「上海事情」(外務省1924)