シュールの本棚

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14 連環画の壺 「川島芳子の死刑」

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1948年3月、北京第1刑務所の扉の前は、処刑された女性スパイの川島芳子を取材する記者で混雑していた。 ドアが開くと英米の記者が通訳を連れて中に入った。

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正午頃に閉じたドアが開かれ、損傷した遺体が2人の囚人によって運ばれた。 これは川島芳子ですか?

川島 芳子(かわしま よしこ、1907 - 1948)は、清朝の皇族・第10代粛親王善耆の第14王女。

8歳のとき、粛親王の顧問の川島浪速の養女となり日本で教育を受けた。1927年に旅順で、蒙古族のカンジュルジャブと結婚式をあげ、3年ほどで離婚。 その後芳子は上海へ渡り、日本軍の工作員として諜報活動に従事。戦後、中華民国政府によって漢奸として逮捕され、銃殺刑となるが生存説がある。(資料「女間諜ー川島芳子 天津人民美術出版社 4冊本)