シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

2 連環画の壺「アヘン戦争」

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1図=イギリス船から荷下ろしされる阿片

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2図=使者が「皇帝、外人が天津にやって来ます」と述べると、道光帝の血の気が失せた

壺2 アヘン戦争と林則徐

 中国の明代末期からアヘン吸引の習慣が広まり、清代の1796年(嘉慶元年)にアヘン輸入禁止となる。道光帝 (在位 1820~50) は1838年に林則徐(1785~1850) を欽差大臣(特命全権大臣)に任命し広東に派遣、アヘン密輸の取締まりに当たらせた。

林則徐はアヘン密輸に厳しい取締りを行った。この時に処分したアヘンの総量は1,400トン以上。1839年(道光19年)には、アヘン商人たちに「今後、アヘンを清国国内に持ちこまない」との「誓約書」を取った。その後もアヘン商人たちを港から退去させた。1836年にイギリスから派遣されていた貿易監察官エリオットは「誓約書」の提出を拒否、マカオに退去した。しかしエリオットは1839年9月に九竜沖砲撃戦、11月の川鼻海戦で清国船団を壊滅させた。資料(連環画「林則徐禁烟」上下 陳光镒絵 2002)