15「仏教の秘密」 チンギス・カンと仏教
秘密15 チンギス・カンは仏教を利用した
1206年、モンゴル北部の貴族の指導者であるチンギス・カン(1162-1227)はモンゴル国家を樹立した。 国名を「元」に変更したのは1271年。モンゴル人は元来シャーマニズムを信じ、特に「天」を尊重していた。彼は戦に行く時には、ブルカンハルドゥン山頂に鎮座する神霊に異常な祈りを捧げた。「天」とは、元王朝の命令の最前線に常に書かれている「龍生天」である。
チンギス・カンは、合理主義者で、役に立てば民族や宗教に関係なくその人材を生かした。
彼には、仏教を信じた耶律楚材(やりつそざい1190-1244)という名の大臣がいた。耶律楚材は、金の中都(現在の北京)に住むの官僚の家に生まれ、天文学、地理、暦、仏教、道教、医療などの多くの本を学んでいた。
1215年にモンゴル軍が金の中都を攻撃したとき、金王朝の役人の耶律楚材は職を捨て、僧侶万松の下で弟子として身を投じた。モンゴルが首都を占領した後、彼らは万松長老を礼儀正しく扱い、万松長老から推薦された耶律楚材もモンゴルにやとわれた。
チンギス・カンはモベイで耶律楚材を召喚した。チンギス・カンは彼を尊敬し、周りにとどまらせた。チンギス・カンの西部遠征中、耶律楚材は彼に同行し顧問として重用された。
耶律楚材は幼い頃から仏教を学んでいたため、チンギス・カンに、仏教を使って人身をまとめさせるアイデアを提案した。チンギス・カンの仏教に対する優遇政策から、このアドバイスが採用されたようだ。チンギス・カンの死後、元の第2太宗オゴデイも仏教を高く評価した。(資料 李国栄「佛光下的帝王」1995)