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24『日本の謎』咸臨丸 終り

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航海中の咸臨丸

謎24 咸臨丸の陰の船長は?

 天保12(1841)年、漁師だった中浜万次郎は、漁に出て仲間4人と共に遭難した。しかし彼は漂流後、無人島に漂着した。そこでアメリカの捕鯨船に助けられ、アメリカに行く。

 1851年日本に帰国した彼は、1857年軍艦教授所の教授となる。万延元(1860)年、通訳として咸臨丸に搭乗する。このとき万次郎34才。咸臨丸の乗組員は軍艦奉行に木村摂津守、指揮官に軍艦操練所頭取の勝麟太郎、合計96人。万延元(1860)年1月19日咸臨丸は浦賀港を出航。強風が襲い、海水が艦中に入り傾くほどの勢い。そのあとも艦は嵐にもまれ、船員の多くが健康を患い、船を操れる者は12、3人というほどであった。2月24日、予定のサンフランシスコにはたどり着かず、勝船長も不安となる。万次郎は、「もし航海上のことを一切任せてくれれば、無事着港できる」といい、この日から万次郎が事実上の船長となる。勝も船酔いで寝たきりの状態であったが、この艦の乗組員であった福沢諭吉は、健康そのものであった。

2月26日(西暦3月18日)無事サンフランシスコに到着。勝も喜んで万次郎の航海術に敬服した。出航後36日目である。(資料 中浜東一郎著「中浜万次郎伝」1936。註=1860年4月8日に元号安政から万延に変更。従って出発は、万延元年ではなく安政7年が正しい。) 終り。