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19『日本の謎』北野天満宮

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「北野天神縁起絵巻」より「清涼殿落雷事件」色彩修正版

謎19 北野天満宮はいつ建てられたか。

北野天満宮は、もともと菅原道真(すがわらみちざね 845-903) の怨霊を鎮めるために建てたのか?

京都の北野天満宮は、9 世紀の学者で政治の要職にあった道真を祭っている。道真は宮廷で誹謗中傷にあい、左遷先の大宰府で亡くなった(57歳)。その6年後に道真を陥れた時平が37歳で死去。密教で払おうとしたが道真の霊が修法を止めたという。更に930年6月清涼殿で藤原清貫(きよつら)らが落雷で死亡、醍醐天皇もこのショックで7月に死亡。この落雷の一年後の931年に、僧の道賢(のちに日蔵)が地獄の世界の出来事を記録した「道賢上人冥土記」が出た。道賢が吉野金峰山で修行していると頓死の状態となり、地獄の炎で苦しむ醍醐天皇に会った時のことを描いたもの。苦しんでいる醍醐天皇は道賢に「この苦しみは、無実の道真を流罪にしたためで、供養するよう朱雀天皇に伝えて欲しい」と語る。冥界から戻った道賢は、天皇に地獄の様子や醍醐天皇の言葉を報告する。報告を受けた天皇は、施餓鬼などの善根を行ない。また道真の地位を元の右大臣にもどした。

都の北西に道真を祭る北野天満宮が建立されたのは、道真の死後44年後の947年で、987年に一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られた。