2022-01-01から1ヶ月間の記事一覧
9.11テロ攻撃下のニューヨーク 2001年の9.11テロ攻撃から20年を迎えたあとも、この事件による米国経済に与えた被害額について議論が続けられている。 グローバルセキュリティ分析研究所(IAGS)によると、9.11の総費用は2兆ドルから3兆ドルの間という。 …
敵陣地へ前進したベトナムの韓国兵(1972) 戦争が国の経済発展の起爆剤になるのはどんな時か?伸び悩んでいた韓国経済にとって、ベトナム戦争がまさにそうであった。ベトナム戦争は、米軍の本格的投入が始まった1965年から75年4月のサイゴン陥落まで10年の…
アメリカ軍のF-35C 「戦争が始まれば株どころではない」と思うはずだが、国外での戦争なら対岸の火事として、多少ゆとりはある。中近東などの石油輸出国が戦場になると、原油供給が不確実となり、原油価格が暴騰すれば消費が冷え込むので、当然物価高に直結…
釜山に運ばれた燃料の入った大量のドラム缶(LIFE 1950.9.4) 朝鮮戦争(1950~1953)に介入したアメリカは、戦争資金の調達のため税金が大幅に引き上げられた一方、連邦準備制度はインフレ防止策をとった。戦争の初めには物価が大幅に上昇したが、戦争の終…
韓国釜山に陸揚げされる援助物資(1952.4 National Archives) 第2次大戦後の日本の経済を救ったのは、1950年6月の「朝鮮戦争(1950-1953)」の「朝鮮特需」がもたらしたといわれる。連合軍の中枢を担うアメリカ軍は、日本にある基地から爆弾、燃料、食料など…
日本占領下の米軍によって発行された軍票(1945-51) 戦争には、規模によっては国家予算の何年分という膨大な費用がかかる。しかしその費用をあらかじめ用意しておくことができないのが現実である。さて戦争に負けた場合には、さらに賠償や復興に金がかかる…
ナタンツのウラン濃縮施設 (AP) intelnews.org ( 2021.12.3 )によると、イランの核開発計画のあるナタンツ施設は、イスラエルの諜報機関モサドによる妨害活動の標的になっている。イランの硬化燃料濃縮プラントの存在は、2002年イランの内部告発者によって明…
ドバイのエキスポでの、航空サイバー攻撃のプレゼン(2022) イスラエル国立サイバー局が、航空セクターへのサイバー攻撃のシミュレーションを公開している。この国際的公開は、ワールドエキスポ・ドバイのイスラエルパビリオンで開催され、米国、ドイツ、ギリ…
打ち上げられた偵察衛星Ofek-16(timesofisrae 2020.7.14 ) イスラエルがイラクでのテロ組織に対する空中作戦のため、匿名で重要な標的情報を提供していたことが、2014年に明らかになった。スパイ衛星は米国にもあるが、イスラエルのスパイ衛星は世界的な責…
イスラエルのプログラムスクール(写真 timesofisrael.com) ハイテクの戦場では、イスラエル国防軍(IDF)の8200が軍を抜いている。 イスラエルの軍事情報ユニットは、軍事情報だけでなく、民間のハイテクブームを推進している。有線の電話や電子メールから…
容疑者(赤)と監視者(緑)で示された地図 2001年の9.11事件は、テロ組織の情報がCIAとFBIとのあいだで共有されていなかったため、未然に防げなかったといわれている。ではその事前の情報は、どこからもたらされたものか?多くの情報のなかのひとつは、イス…
1991年5月、14,000人以上のエチオピア系ユダヤ人を空輸した。(写真BBC ) 1980年代のエチオピアのユダヤ人の救助作戦、特に「モーセ作戦」にもかかわらず、まだその国に多くのユダヤ人は残っていた。 1990年初頭にイスラエルとエチオピアの外交関係が再開し…
回想録「戦争からの利益」とネザール・ヒンダウィ ヒンダウィ事件は、1986年4月にヨルダン人のネザール・ヒンダウィが、ロンドン発テルアビブ行きのエルアル航空016を爆撃に失敗し、話題になった事件である。 1986年4月17日の朝、ロンドンのヒースロー空港で…
バスを包囲したイスラエル軍部隊 バス300事件は、1984年4月12日、4人のパレスチナ人テロリストが、テルアビブからアシュケロンに向かう35人の乗客を乗せた300号線エゲッドバスを乗っ取ったときに始まった。彼らの目的は、イスラエルに投獄されていた500人の…
攻撃ルートとイスラエル空軍機 1981年6月7日、イスラエル空軍(IAF)はイラクの原子炉を爆撃した。それはイスラエルが最後に選択した作戦で「オペラ作戦」であった。まずイスラエルは、フランス政府に技術供与を取りやめるよう要請したが、ジスカールデスタ…
乗っ取られたエアバスと、事件後輸送機に乗り込むコマンド サンダーボルト作戦は、1976年7月4日にエンテベ空港(ウガンダ)でイスラエル国防軍によるハイジャック人質救助作戦である。 事件は、1週間前の6月27日に起きた。乗客248人のエールフランス航空エア…
ジョージ・ジョナスの著書「復讐」、右は日本語訳「標的は11名」表紙 1972年9月5日に西ドイツのミュンヘンで、パレスチナ武装組織「黒い九月」により行われた11人のアスリート虐殺は、イスラエル国民を震撼させ、国は復讐を要求した。ゴルダ・メイア首相の政…
「プランバット作戦」を紹介した2冊の本 プランバット作戦(PLUMBAT OPERATION)は、 1968年11月、イスラエルの核兵器計画を推進するため、秘密裏に購入したウランを船で搬送するため、科学連絡局とモサドの合同作戦である。このモサドの秘密作戦は、核物質…
イスラエル空軍博物館のMiG21 ダイアモンド作戦は、モサドによって行われた。 その目標は、当時最も先進的なソビエト戦闘機MiG-21の乗取りである。 作戦は1963年半ばに始まり、1966年8月16日、イラクのアッシリア人亡命者ムニール・レドファが、イラク空軍の…
作戦を仕切ったイサル・ハレルと、エジプトのミサイル 1956年の第二次中東戦争の後、エジプトのナセル大統領は、イスラエルとの将来の戦争で使用できる地対地ミサイル能力を構築することを、西ドイツに望んでいた。エジプトのロケット計画は、1962年7月にロ…
シェルブールからハイファ港の航路と、到着したボート ●フランスのシェルブール造船所から、ミサイル艇を盗み出す作戦。 1962年後半、イスラエル海軍は、老朽化した駆逐艦を最新のミサイル艇に置き換えることに決めた。 そこでイスラエルは、ドイツのホロコ…
ユダヤ人を乗せた船とハッサン国王 イスラエルの情報機関モサドとイスラエル海軍が共同で計画した「ヤキン」作戦は、モロッコのユダヤ人をイスラエルに移住させるものである。 1950年代の終わりにかけて3回実施されたのは、モサドのシュムエル・トレダノと彼…
アブラハム・ダーとポートサイドのユダヤ人コミュニティ ツシア作戦(ヘブライ語で「創意工夫」を意味する)は、1956年のイスラエルによるエジプトのシナイ砂漠の攻撃(シナイ・キャンペーン)の後に開始された。この作戦では、イスラエル工作員が、エジプト…
ハフェズ大佐(左)とハルカビ少将 標的を暗殺する作戦は、イスラエルの諜報機関にとって目新しいことではない。しかし、少なくとも1970年代までは、暗殺は最後の手段と見なされていた。 1950年代、ガザのエジプト諜報機関の司令官ムスタファ・ハフェズ大佐は…
C−46とイエメン・ユダヤ人 イエメンのユダヤ人のイスラエルへの秘密の空輸。 1949年アラビア半島南端部に位置するイエメンに、当時約5万人のユダヤ人が住んでいることがわかった。宗教指導者は、彼の国のほとんどのイエメン・ユダヤ人のうち約4万5,000人を去…
ディモナの原子炉研究センター(出典 israeldefense.co.)とベングリオン イスラエルは、国家設立直後の1948年、核の選択肢を検討し始めた。1949年、イスラエル国防軍の科学部隊Cは、ウランの埋蔵量を測定するため、ネゲブ砂漠の地質調査を開始した。1952年…
ビンラディンの隠れ家とRQ-170ドローン アルカイダのリーダーのビンラディン暗殺計画は、CIAの作戦「ネプチューンの鎗」で、2011年5月1日、米海軍のSEALチームによって実行された。 CIAが2002年に得た情報が、ビンラディンを見つける手がかりとして、アルカ…
モスクワ・オリンピックとターナー長官 1980年モスクワ・オリンピックは、1980年7月から16日間、モスクワで開催された。この大会に、米カーター大統領は、前年12月のソ連のアフガニスタン侵攻を理由にボイコット(1980年1月)した。以下は、1月9日づけのCI…