シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

14 ローマの盛衰 「ダンテ列車」

ダンテの逃亡先を行くダンテ列車 2021年は、『神曲』の作者ダンテの死(1265~1321年)から700周年を迎え、トスカーナとエミリア・ロマーニャの風景をヴィンテージの蒸気機関車が運行される。 この企画は、ダンテがトスカーナの州都フィレンツェから、北東へ10…

13 ローマの盛衰 イタリアの売春法

客引きをする性ワーカー( 写真Wanted in Rome2014.11.3 ) イタリアでの売春の定義は、性行為を金銭と交換することである。合法だが、組織による売春は禁止されている。ワーカーの9割は外国人である。以下は英文「ウィキペディア」の要点摘出である。●移住 …

12 ローマの盛衰 イタリアのメーソン

「イタリアのフリーメーソンの秘密」表紙 イタリアのフリーメーソンは、18世紀の前半にまでさかのぼる。 1724年にロッジが設立され、1737年、異端審問によりロッジ役員が逮捕され、ロッジは閉鎖された。翌年、フリーメーソンに対する最初の教皇勅書が発行さ…

11 ローマの盛衰 フィアット社の軌跡

フィアットパンダイージーハイブリッド(2020) フィアット( FIAT )は、イタリアの自動車メーカーで1899年にトリノで創業された。現在は、ステランティス N.V. の子会社である。社名のFIATとはFabbrica Italiana Automobili Torino(トリノのイタリア自動車…

10 ローマの盛衰 アリタリア航空の危機

アリタリア航空の機体 アリタリア航空は、1947年9月に設立されたイタリアの航空会社。1960年代以降に、ダグラスDC-8で日本路線へ就航した。以下は同社の苦難の歴史である。資料は日本語ウィキペディア。●経営悪化 同時多発テロ以降経営が悪化し、株式の49%を…

9 ローマの盛衰 コロッセオの修復

2023年に修復予定の床の復元図(artribune.com) ローマを代表する観光地コロッセオは、ローマ帝政期の西暦80年に、ウェスパシアヌス帝(在位 69 - 79年)とティトゥス帝(在位79 - 81年)によって造られた円形闘技場。建設当時の正式名称はフラウィウス円形…

8ローマの盛衰 ローマの刑務所

ローマ北東にあるレビッビア刑務所 「首都ローマの犯罪と刑事機関 2010〜 2014」によると、ローマで2014年に21万6,750件の犯罪が発生した(2013年より 1.3%増加) 。ローマの住民10万人ごとに7,558件の犯罪が発生(2014)。 レビッビア (Rebibbia) とレジーナ…

7ローマの盛衰 マフィア撲滅に散った裁判官

爆発による暗殺直後の高速道路 ジョヴァンニ・ファルコーネ(1939 - 1992)はイタリアの裁判官。その生涯をマフィア撲滅運動に捧げ、マフィアに暗殺された。1978年、キンニーチ判事がパレルモ地裁の予審部長に就任。ファルコーネは彼のもとで、銀行口座から…

6 ローマの盛衰 ローマの撮影所

チネチッタ・スタジオ(写真 italymagazine 2012.2.8) ローマの南西5.6マイル、静かな郊外に隠れ、有名なアッピア街道からすぐのところにあるチネチッタ・スタジオ。 99エーカーの面積で、ヨーロッパで最大の映画スタジオ。チネチッタは「シネマシティ」を…

5 ローマの盛衰 古代ローマ時代のローマの洪水

1686年のパンテオンの内部への浸水 (J. Tischbein画) 水の都はベニスと言われるが、洪水の都ローマという形容は余り聞きなれないものである。しかしローマでは毎年テベレ川の水かさが増え、それによるマイナーな洪水は5〜6年に1度、大きな洪水は28年ごとに…

4 ローマの盛衰 ムッソリーニのローマ進軍

ピニ「ムッソリーニ伝」(1954)表紙より ローマ進軍(Marcia su Roma)とは、1922年10月にイタリア王国で起きたムッソリーニ(1883 - 1945)率いる「ファシスト党」および党の民兵組織「黒シャツ隊」による、政権獲得のためのクーデター計画のことである。 1…

3 ローマの盛衰 ローマの議事堂

モンテチトーリオ宮殿(代議員議事堂) モンテチトーリオ宮殿(Palazzo Montecitorio)は、ローマにある歴史的な建物で、イタリア共和国の代議院(下院)議事堂である。 この宮殿には、16世紀から20世紀にかけての千を超える絵画や彫刻、さまざまな時代の数…

2 ローマの盛衰 テルミニ駅の歴史

映画「終着駅」ポスター(1953) ローマのテルミニ駅はイタリア最大の鉄道駅であり、1950年12月20日に発足し、昨年は70年の歴史を祝った。総面積は22万平米を超え、1日あたり約50万人の訪問者があり、1日あたり約1,000本の列車が発着している。 最初の駅は186…

1ローマの盛衰 フェリーニのローマ(始まり)

「フェリーニのローマ」英語版ポスター 『フェリーニのローマ』(原題:ROMA)は、1972年に公開されたフェデリコ・フェリーニ監督(1920 -1993)の半自伝的作品。第二次世界大戦の直前にテルミニ駅に到着した作者の故郷の思い出を通して、ローマの活気に満ち…

24 ベルリンの盛衰 ベルリン国際映画祭 (終り)

ベルリン国際映画祭 (2017) ベルリンで、毎年2月に開催される国際映画祭。毎年約30万枚のチケットが販売され、50万人の入場があり、恒例の映画祭の中でも最大の観客数を誇っている。 1950年に、ベルリンに駐在するドイツのアメリカ高等弁務官で、情報サービ…

23 ベルリンの盛衰 メルケル首相

メルケル首相とトランプ大統領(2018年G7サミット opera.newsより) ドイツ史上初めての女性首相メルケル(1954 - )。2000年〜2018年までキリスト教民主同盟 (CDU) 党首、2005年から第8代ドイツの首相を務める。 東ベルリンにある科学アカデミーに就職し、…

22 ベルリンの盛衰 ネオナチ

暴動から20年後、リヒテンハーゲンを行進するデモ(tagesspiegel 2012.8.26) 1970年代まで、ドイツの右翼過激派は、いわゆる古いナチスの思想に支配されていた。しかし、1970年代後半以降、このナチスのイメージは、ナチス時代を体験しない世代によって主に…

21 ベルリンの盛衰  クルップと朝鮮戦争特需

クルップ裁判、(左)アルフリート・クルップ クルップ(Krupp)社は、ドイツの製鉄業、兵器製造メーカーとして長い歴史を持つ企業である。第二次大戦では、ドイツ国防軍用に戦車・砲・軍用トラックなどの兵器を製造した。 大戦後、グスタフ・クルップ前会長 (…

20 ベルリンの盛衰 ベルリンテレビ塔

ベルリンテレビ塔(1970) ベルリンのベルリンテレビ塔は、高さは高さは368 m、ドイツで最も高いテレビ塔。場所はドイツ統一前の東ベルリンに位置している。1969年に完成したとき、それは世界で2番目に高いテレビ塔であったが、2021年現在は16位である。年間…

19 ベルリンの盛衰 ベルリンユダヤ博物館

コレギエンハウス (左) とユダヤ博物館 (右) ベルリン最初のユダヤ博物館は、1933年にオラニエンブルガー通りで設立されたが、1938年にナチス政権により閉鎖された。 その後、博物館の建設は1992年11月に開始され、1999年に建物が完成した。 ベルリン・ユダ…

18 ベルリンの盛衰 ベルリンの壁崩壊

ベルリンの壁の前に集まる市民 ドイツは東ドイツと西ドイツで分裂していたが、東西ベルリンの境界線を無視して東側から西側への人口流出が続き、東ドイツに深刻な影響を与えた。1945年から1961年までに東ドイツから西ドイツに移った人は約300万人に達した。…

17 ベルリンの盛衰  シュタージ

ベルリンの旧シュタージ庁舎 国家保安省 (ドイツ語: Ministryium für Staatssicherheit, MfS )、通称「シュタージ」は、1950年2月8日に設立された。東ドイツの国家治安機関であり、最も効果的で抑圧的な諜報機関および秘密警察機関の1つとされている。東ベル…

16 ベルリンの盛衰 ベルリン大空輸

ベルリン空輸に従事したダグラスR5D(1948.6.26~1949.5.2) 1948年6月23日、ソビエト政府は西ベルリンに向かう全ての鉄道と道路を封鎖した。封鎖は1948年6月23日の午前0時に始まり、ベルリンの西側連合国の影響力を弱めるため、電力を削減し始め、翌日、すべて…

15 ベルリンの盛衰 ニュルンベルク裁判

法廷に立つゲーリング(LIFE 1945.12.10) ニュルンベルク裁判とは、第二次大戦でのドイツが行ったとされる戦争犯罪を裁く「国際軍事裁判」(1945年11月20日 - 1946年10月1日)をいう。ナチ党の党大会開催地であるニュルンベルクで開かれた。東京裁判と並ぶ二…

14 ベルリンの盛衰 ベルリン市街戦

ベルリンの赤軍兵士の死(雑誌「スピーゲル」2004より) 1945年4月16日、赤軍はベルリン占領を目的とするベルリン作戦を発動した。4月23日、赤軍はベルリン市の郊外に進入、4月27日には市は完全に包囲された。 赤軍の砲撃が市内に直接届く段階になると、市民…

13 ベルリンの盛衰  殺された8万人のメーソン会員

ドイツのフリーメーソンのシンボル 1933年、アドルフ・ヒトラー(1889-1945)は、が権力を掌握した早い時期に、全ての秘密結社は彼の世界征服の計画に有害であると断言した。そのため、ユダヤ人とカトリックなどに加え、フリーメーソン会員が、排除されるため…

12 ベルリンの盛衰  ホモセクシャルの弾圧

F・タマーニュ「ヨーロッパにおける同性愛の歴史」(2006) ナチスドイツは、ユダヤ人虐殺については数多くの書物や映画で伝えられているが、彼らは人種差別だけではなく、精神障害者やホモセクシャルの人々をも弾圧してきたことが知られている。しかしその具…

11ベルリンの盛衰 ヒトラーとレマルクの戦争体験後の人生

ヒトラー (1889 - 1945)と「西部戦線異常なし」の作家レマルクの2人は、若き日にともにドイツ兵として第一次大戦で同じ前線で戦い、二人とも重傷を負う。 しかし 戦争が終わったとき、彼らの一人は、凶悪な戦争犯罪人になり、もう一人は平和主義の作家にな…

10 ベルリンの盛衰 長いナイフの夜

ヒトラーとエルンスト・レーム (MILITARY REVIEW/en.topwar.ruより) ナチ党が政権を掌握した1933年、ナチス党の私兵部隊「突撃隊」(SA)は総員400万人、うち武装兵士が50万人の規模で、国軍における陸軍将兵10万人の5倍であった。 突撃隊(SA)の指導者…

9 ベルリンの盛衰 画家ジョージ・グロス

「恋愛後遺症」1916年 「皆既日食」1926年 ベルリン生まれの風刺画家・ジョージ グロス(George Grosz 1893 - 1959)の作品は、ドイツの混乱期に社会と政治への執拗な批判で、一目で彼の作とわかる個性的な表現が特徴。 彼の作品を介して労働者階級の意識を…