12 ロンドンの盛衰 「ヒースロー空港」
ヒースロー空港(Heathrow Airport)は、ロンドンから23キロ西にあるイギリス最大の空港。国際線利用者数は2019年が約7604万人で、ドバイ国際空港に次ぎ世界第2位。所有・運営は、民間会社のイギリス空港会社 (BAA) である。1959年に南ロンドンのクロイドン空港が閉鎖したことに伴い、ロンドンを代表する国際空港となった。
1929年に、「グレート・ウェスタン・エアロドローム (Great Western Aerodrome) 」という飛行場が最初。1955年にヨーロッパビル(旧ターミナル2)がオープン。以下ターミナル3(1961年)、ターミナル4(1986年)、ターミナル4(2008年)がそれぞれオープンした。(資料 heathrow-airport-guide.co.uk)
10 ロンドンの盛衰 「バッキンガム宮殿」
バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)は、ロンドンにある宮殿。近衛兵の交代儀式で有名。
1703年にバッキンガム公(ジョン・シェフィールド(1648–1721)が、自らの邸宅として建てたバッキンガムハウス(Buckingham House)が始まり。1761年にジョージ3世が譲り受け、私邸として使う。引き続きジョージ4世は、煉瓦造りの邸宅を全面改築した。1837年にヴィクトリア女王がセント・ジェームズ宮殿から移り住み、イギリス王室の公式の宮殿となった。
8 ロンドンの盛衰 「 ロイズ保険会社」
ロイズ保険会社(正式名 ロイズオブロンドン )は、1688年頃、エドワード・ロイド 1648– 1713))がロンドンのタワー・ストリートにロイズ・コーヒー・ハウスを開店。ロイドは顧客のために海事ニュースを発行した。1691年、店舗をロンバード・ストリートに移転。店に保険引き受け業者(アンダーライター)が集まるようになる。
1720年、南海泡沫事件が起き、ロンドンの証券市場は崩壊。議会は保険引受業務を行える会社を2社に限定。しかし個人の保険引受業者は規制がなく、ロイズに集まっていた個人の保険引き受け業者が有利となった。まもなく勅許会社2社は海上保険から撤退し、ロイズが海上保険を独占した。アンダーライターたちはロイズ委員会を組織し、1773年にコーヒー店を王立取引所の中に置く。こうしてロイズは保険引受市場へと転換した。1982年7月、新ロイズ法が制定され、シンジケート団の集合は頂点にCouncil of Lloyd's を設けた。
ロイズには300あまりのシンジケートがあり、海上保険や火災保険、盗難保険などそれぞれ得意とする分野の保険を引き受けている。
7 ロンドンの盛衰 「 イングランド銀行」
イングランド銀行は1694年に設立された。ウィリアム3世は、1689年に自ら軍を率いて大陸に渡り、フランス軍との戦いを始めた。さらにアメリカ植民地ではウィリアム王戦争を開始した。これら対フランス戦争の戦費をまかなうため、ホイッグ党議員は、国債を募集することとし、金融機関の設立を議決し、イングランド銀行を設立した。出資者1268人中123人がユグノー(フランスのカルヴァン主義で、迫害された者は亡命先の経済を発展させた)であった。この国債制度によってイギリス財政は安定した。19世紀後半、ロンドンのシティが世界金融の中心地になると、イングランド銀行は「世界の銀行」としての役割を担い、国際金本位制=ポンド体制が世界経済を握った。