シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

12 ロンドンの盛衰 「ヒースロー空港」

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ヒースロー空港(flightglobal.com 2020.9.3)より

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ヒースロー空港(1992年、「UK airport Austin Brown 1993)より

ヒースロー空港(Heathrow Airport)は、ロンドンから23キロ西にあるイギリス最大の空港。国際線利用者数は2019年が約7604万人で、ドバイ国際空港に次ぎ世界第2位。所有・運営は、民間会社のイギリス空港会社 (BAA) である。1959年に南ロンドンのクロイドン空港が閉鎖したことに伴い、ロンドンを代表する国際空港となった。

1929年に、「グレート・ウェスタン・エアロドローム (Great Western Aerodrome) 」という飛行場が最初。1955年にヨーロッパビル(旧ターミナル2)がオープン。以下ターミナル3(1961年)、ターミナル4(1986年)、ターミナル4(2008年)がそれぞれオープンした。(資料 heathrow-airport-guide.co.uk)

11 ロンドンの盛衰 「ハロッズ百貨店」

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1 イルミネーションが美しいハロッズ

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2 ハロッズのイギリス最初のエスカレータ(1898年)

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3 戦勝記念日の飾りのハロッズ(1945年5月8日)

(写真2,3  Harrods : the store and the legend by Tim Dale 1981

ハロッズは、ロンドン中心部ブロンプトン・ロードに面するイギリス最大の高級百貨店。ハロッズの創業者チャールズ・ハロッドは、1824年に起業した。1849年、2年後の第一回ロンドン万国博覧会に狙いを定め、ハイド・パークの近くのブロンプトン地区の店を買い取った。

2010年5月、ハロッズカタール政府系投資ファンドカタール・ホールディングス」に15億UKポンドで売却された。経営はエジプト生まれの実業家モハメド・アルファイド(1933~)。息子のドディ・アルファイド(1955-97)は、交際中のダイアナ妃とともに事故死している。

10 ロンドンの盛衰 「バッキンガム宮殿」

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1 1710年頃のバッキンガム・ハウス(バッキンガム宮殿の前身)

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2 左手に宮殿の儀場の入口として大理石のアーチがある(1837年)

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3 現在のバッキンガム宮殿

バッキンガム宮殿(Buckingham Palace)は、ロンドンにある宮殿。近衛兵の交代儀式で有名。

1703年にバッキンガム公(ジョン・シェフィールド(1648–1721)が、自らの邸宅として建てたバッキンガムハウス(Buckingham House)が始まり。1761年にジョージ3世が譲り受け、私邸として使う。引き続きジョージ4世は、煉瓦造りの邸宅を全面改築した。1837年にヴィクトリア女王セント・ジェームズ宮殿から移り住み、イギリス王室の公式の宮殿となった。

9 ロンドンの盛衰 「 MI6」

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1 ヴォクソール・クロスにあるSISビル(MI6本部)

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2 最初の施設のアシュレイマンション(ヴォクソール・ブリッジロード254番地)

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3 1964年、ランベスの22階建ての高層ビルセンチュリーハウスに移転

MI6の正式名称は秘密情報部(Secret Intelligence Service、SIS)で、イギリス政府の情報機関の一つ。国外の政治、経済の情報収集、情報工作が任務。第一次世界大戦が始まると、戦争省情報部DMI(Directorate of Military Intelligence)の元で、組織名に番号が割り振られた。第一次世界大戦中のSISは、MI(c)とされたが、1930年代後半にMI6となった。他の組織にはMI5(防諜)がある。(写真及び資料wayneharrisonphotographic.wordpress.com)

8 ロンドンの盛衰 「 ロイズ保険会社」

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1 ロイズ・オブ・ロンドン外観 (資料 shutterstock )

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2 ロイズ・オブ・ロンドン内部

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3 ロイズオブロンドン-メインホール 1867年(資料 Mary Evans Picture Library)

ロイズ保険会社(正式名 ロイズオブロンドン )は、1688年頃、エドワード・ロイド 1648– 1713))がロンドンのタワー・ストリートにロイズ・コーヒー・ハウスを開店。ロイドは顧客のために海事ニュースを発行した。1691年、店舗をロンバード・ストリートに移転。店に保険引き受け業者(アンダーライター)が集まるようになる。

1720年、南海泡沫事件が起き、ロンドンの証券市場は崩壊。議会は保険引受業務を行える会社を2社に限定。しかし個人の保険引受業者は規制がなく、ロイズに集まっていた個人の保険引き受け業者が有利となった。まもなく勅許会社2社は海上保険から撤退し、ロイズが海上保険を独占した。アンダーライターたちはロイズ委員会を組織し、1773年にコーヒー店を王立取引所の中に置く。こうしてロイズは保険引受市場へと転換した。1982年7月、新ロイズ法が制定され、シンジケート団の集合は頂点にCouncil of Lloyd's を設けた。

ロイズには300あまりのシンジケートがあり、海上保険や火災保険、盗難保険などそれぞれ得意とする分野の保険を引き受けている。

7 ロンドンの盛衰 「 イングランド銀行」

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イングランド銀行正面

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2 イングランド銀行の中庭と墓地 (資料 bankofengland.co.uk)

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3 イングランド銀行内部 (資料 bankofengland.co.uk)

イングランド銀行は1694年に設立された。ウィリアム3世は、1689年に自ら軍を率いて大陸に渡り、フランス軍との戦いを始めた。さらにアメリカ植民地ではウィリアム王戦争を開始した。これら対フランス戦争の戦費をまかなうため、ホイッグ党議員は、国債を募集することとし、金融機関の設立を議決し、イングランド銀行を設立した。出資者1268人中123人がユグノー(フランスのカルヴァン主義で、迫害された者は亡命先の経済を発展させた)であった。この国債制度によってイギリス財政は安定した。19世紀後半、ロンドンのシティが世界金融の中心地になると、イングランド銀行は「世界の銀行」としての役割を担い、国際金本位制=ポンド体制が世界経済を握った。

6ロンドンの盛衰 「ビクトリア駅」

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1.ビクトリア駅の絵はがき(1904年)

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2. ビクトリア駅のコンコースにいる2人の兵士が、最前線に向けて出発する場面。 ( GettyImagesによる写真)

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3.現在のビクトリア駅

ビクトリア駅=ロンドンのウェストミンスター地区にある鉄道駅。 バッキンガム宮殿のすぐ南にある。 この駅は、19世紀の2つ駅を1つにまとめたもの。 東部はロンドン、チャタム、ドーバー鉄道用に建設され、西側はロンドン、ブライトン、サウスコースト鉄道用に建設された。 2つの鉄道は1899年に部分的に統合され、駅は次の10年間で改造された。 1921年にこの構造物は南部鉄道の管理下に置かれ、3年後に2つの半分の間の仕切りが開かれた。 駅の隣には、1861年に建てられ1890年代に改装されたグロブナーホテルがある。(資料 Encyclopaedia Britannica)