シュールの本棚

世界で日々起きていることは、現実を超えて進んでいる

5 ロンドンの盛衰 「スコットランド・ヤード」

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ロンドンのスコットランド・ヤードの本部で爆発した後の瓦礫

1884年5月30日 画像/ゲッティ Images)

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ビクトリア・エンバンクメントのニュー・スコットランド・ヤード本部

(画像/ゲッティ Images)

スコットランドヤードは、ロンドンの全域を管轄する警察組織で、公式にはニュー・スコットランドヤード (New Scotland Yard) という。

今日、スコットランドヤードでは3万人以上の警察官が雇用されている。

ロンドン警視庁本部の初代庁舎の一般入口が、グレート・スコットランドヤード通りに面していたので、この名前がロンドン警視庁と同義となった。ロンドン警視庁は1890年に、ヴィクトリア・エンバンクメント通りに面する場所に竣工したとき、新庁舎は「ニュー・スコットランドヤード」の名称が採用された。2016年11月、ロンドン警視庁は4代目となる新しい本部庁舎に移転した。

4 ロンドンの盛衰 「地下鉄ポスター」

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1「Avoid Delay(遅れをなくす)」作者不詳1910年

2「Humours No.5」 Tony Sarg作 1913年

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3「Underground(地下鉄)for Business or Pleasure」 F.E.Witney作 1913年

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4 「From Euston to Clapham Common」R.Cooper作 1924年

世界初の地下鉄は、ハイド・パークの北に位置するパディントン駅 からシティ・オブ・ロンドンの北にあるファリンドン駅間で、1863年1月10日に開始された。メトロポリタン鉄道の経営で、初日には4万人が利用した。この路線は延長し、1880年には年間4000万人を輸送した。路線は全て蒸気機関車で、駅は煤煙で煤だらけで、評判は良くなかった。後には電気動力式が発展、地下鉄はより深く潜ることになった。資料「London Transport posters」 2008

3 ロンドンの盛衰 「ロンドンの小宇宙」

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  クリスティーズ・オークションハウス

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2 1799年に改装されたコベントガーデン劇場

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1780年の暴動で破壊され再建されたフリートストリートの刑務所

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4 退役軍人のためのロイヤルホスピタル・チェルシー

「ロンドンの小宇宙」は、著名な風刺画家トーマス・ローランドソンの作品。この3巻本では、ロンドンの19世紀の始め(1808〜1810)のロンドンの著名な施設である大英博物館、劇場、市庁舎、宮殿、議会、教会、銀行、さらには病院、市場、刑務所やなどあらゆる施設104カ所がABC順に描かれている。(資料トーマス・ローランドソン画「ロンドンの小宇宙」Volume1-3(METHUEN & CO.LONDON 1904)

2 ロンドンの盛衰 「ロンドン・ブリッジ」

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テームズ川が凍り、ロンドン橋に堆積する氷(1814年2月5日 

(ブリティシュライブラリー蔵)

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2新しいロンドン・ブリッジの開通の式典(1831年8月)

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3 新しいロンドン・ブリッジの開通の式典(同上)

ロンドン橋( London Bridge)は、ロンドンを流れるテムズ川にかかる橋。

これまで何度も立て替えられたが、18世紀の終わりには交通量を考慮して、石造アーチによるものが1762年に作られた。新たな橋は旧橋より30m上流に、着工から7年後の1831年に完工した。この橋は大理石で造られ、長さは283m、幅は15 m、開通日は1831年8月1日である。その日、式典が橋のたもとの会場で行われた。(図参照)1831年に完成したロンドン橋も、基礎の沈下のために取り壊されることになり、1968年4月18日にアメリカの企業家に売却された。現在のロンドン橋は1973年3月に開通した3連のコンクリート梁からなる283mの橋梁である。

1 ロンドンの盛衰 「英国王朝100年祭」はじまり

「シュールの本棚」の第7回の特集は、大英帝国の首都ロンドンの話を24話でまとめてみたいと思います。
次にパリ、ニューヨークと続ければいいのですが。未定です。

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1 塔を取り囲む待機中の花火と気球

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2 回転するコンコードの神殿のイルミネーション

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3 中華風の橋とパゴダ(仏塔)

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4 光に輝く中華風の橋

1814年、イギリスと連合軍は、フランスとの約20年間の戦争の後、ナポレオンを破った。 フランスの指導者が追放され、1714年から続いたイギリスの王朝ハノーヴァー朝の100年を迎えた祝いのため、1814年の夏、ロンドンのセントジェームズ・パークハイド・パークでは、壮大なイベントが催された。 誰もが楽しめるこのイベントの様子は、鮮やかな色彩で記録されていた。図および資料( THE GLORIOUS PEACE OF 1814,historical moment 1814)

24 連環画の壺 「釈迦物語」おわり

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1.釈尊ルンビニの樹下で誕生

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2.深夜に王城を抜け出し、髪を切ってマガダ国に向かう

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3. 悟りの後、釈迦は沙門に対して初めて教えを説く

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4. 目連尊者、餓鬼道に落ちた母の苦しみを救う

壺24(おわり)

「釋氏源流応化事磧」4巻は、明代に広く流通している仏教作品で、百年以上もの間忘れられてきた古書である。図は釈迦の誕生から菩提樹の悟り。そして布教により仏教が中国に伝わり、中国仏教が発展して行く迄の過程を描いている。その数492図。ここではそのうちの4枚を取り上げた。元画は白黒であるが、それに彩色した版を用いた。

23 連環画の壺 「英国東インド会社と阿片」

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1.ロンドンの東インド会社ビル

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2.テームズ河にある東インド会社のドックヤード(図British Library)

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3.パトナの阿片工場の鳥瞰図(右手にガンジス川)(図British Library)

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4.工場敷地内にある建物(図British Library)

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5.倉庫内の階段(図British Library)

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6.阿片工場の乾燥エリア(1851)

壺23

1600年、英国のエリザベス女王一世に認可された英国東インド会社は、アジアとの貿易を独占した。18世紀後半までに、同社はアヘンの栽培地域であるベンガルとビハールの2つの州を支配し、インドの阿片生産を独占した。

同社は、ビハール州にあるパトナ(市街から西8キロ)を輸出と薬用のアヘン製造の中心地として使用した。阿片の倉庫はガンジス川岸の古いオランダの工場の敷地にあった。それをカルカッタのオークションで民間業者に販売した。タバコと混ぜて燻製した阿片は中毒性が高いのでリピート商品である。(資料 British Library)